2019年7月 1日 (月)

2019年7月アイビー随筆

アイビー随筆「山岳展望」

            37年 理学部卒 大内 建二

 今年の10連休の最中の5月4日、無風のあまりの上天気に誘われ、大好きな飛行機でも見に行こうかと思い、長町駅から仙台空港駅まで電車で出かけた。20分弱で仙台空港駅に着いて驚いた。

32年ぶりに訪れた仙台空港は大変化。当時は仙台市内からバスで仙台空港まで行かなければならなかったが、今は改札を出ると何とすぐ目の前がチェックインカウンター。日本中で最も便利な空港だ。

 幾つもの売店やレストランの賑わいにひと驚き。エレベーターで屋上展望デッキに出て驚いた。飛行機を見るどころではなかった。快晴の何処までも澄み渡る穏やかな空の下、遥か北には何と雪を被った栗駒山が見えるではないか。そして七ツ森の独特の山塊の左に泉ヶ岳、その左に雪を頂いた船形山の雄姿。そしてそれに続き大東岳に面白山、更に山形神室岳から雁戸山の連なり、そして雪を頂いた蔵王連峰の雄姿、目を左に移すと驚いた。遥か先には福島県の名峰吾妻山塊が見えるではないか。北から南までその距離160キロメートル以上ある。

 仙台空港の展望デッキがこんなに素晴らしい山岳展望の場所とは思いもよらなかった。私は登山自体は好きではないがいわゆる「山岳展望」は大好きである。「あの山は何々山、こちらの山塊は何々山の群れ」等と「山座同定(山の名前を確認すること)」するのが大好きで、車であちこちの峠道に行っては山岳展望を行うのは楽しい。但し日本中の山の位置と地理と名前を熟知していないと出来ない技である。些か自慢ではある

 私は国土地理院発行の二万五千分の一や五万分の一の地図を眺めるのが大好きである。一枚の地図を眺めると文庫本一冊を読んだほどの感慨や妄想が浮かんでくる。おかげで我が家の地域別の大型地図帳「マップル」は既にボロボロである。

 新幹線で東京に向かう時には様々な山岳展望が楽しめる。利根川の橋梁を渡る頃前方に奥多摩の山塊が見えてくるが、その中で御岳山(ミタケサン)神社のご神体の山である大岳山(オオダケサン)が潜水艦の司令塔のように見えてくると、これは東京が近いサインである。

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2019年6月24日 (月)

小旅行会 南会津

令和元年6月16日、17日福島県南会津へ旅行しました。参加人数14名です。

 七十七銀行本店前を午前9時出発、11時ころ白河に到着しました。「小峰城」、「白河の関跡」、「南湖公園」を散策して、宿泊地の小豆温泉「花木の宿」に着いたのが午後5時、早速温泉へ。湯質、湯温、湯量、露天風呂の雰囲気といい申し分なく大満足でした。

 17日は午前8時半宿を出発、近くの奇岩「屏風岩」と「大桃の舞台」を見学してから、

ヒメサユリ群生で有名な「高清水自然公園」へ。しっとりとした山の空気の中、園内の木道を歩きました。会津若松市近くの伊佐須美神社境内では色とりどりのアヤメを観賞。市内のフレンチレストランでランチをとった後、最後に会津松平の庭園「御薬園」を訪れ、庭園を眺めながらゆっくり抹茶を堪能してから帰路につき、仙台駅前に午後6時ころ到着解散となりました。

 梅雨時にもかかわらず、あまり雨にも降られず楽しい旅行でした。

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2019年6月 6日 (木)

2019年6月アイビー随筆

アイビー随筆6月号
 アイビー随筆「埋もれ木細工」
                 37年 理学部卒 大内建二
 仙台には三つの有名な工芸品があった。「あった」というのは現在では僅かにその命脈が保たれているだけで、何時消えるかわからない燈明のような存在になっているからである。三つの工芸品とは「堤焼」、「玉虫塗」そして「埋もれ木細工」である。中でも玉虫塗はその奥深い色合いが何とも上品な塗り物で、正に廃れてはならない「JAPAN(日本特有の漆塗りの英語表記)」なのである。一方「埋もれ木細工」は亜炭を加工して作り上げた置物や壁掛けなどの加工品であるが、現在ではほとんど見ることが出来ない。現在は秋保に細工人が一人、細々と伝統細工を続けているだけである。
 亜炭は石炭の中でも最も若年齢の、いわば石炭の幼稚園生とでもいうべき存在のものである。熱量の高い瀝青炭は二億年以上前の古生代の石炭紀の森林の化石であるのに対し、亜炭は500万年前の後期新生代の植物の「化石」で、まだ熟成されていない石炭なのである。
 亜炭は炭化が進んでおらず着火性が悪く熱量も低いが、戦時中や終戦後の燃料不足時代に薪の代わりに大量に使われたのだ。宮城県は日本でも有数の亜炭産出地で、仙台の太白区の八木山や大年寺山周辺は亜炭の産出地として有名であったのだ。事実太白区向山や八木山南、芦の口、青山、土手内などには大小無数の亜炭採掘場があった。私が会社の仙台支店に転勤して来た昭和55年頃、住まいのあった芦の口地区でも、すぐ裏山の崖には幾つものトンネルの跡のようなものが存在したが、これらは皆付近の住人が掘った自家用亜炭の採掘用のトンネルだったのだ。これらの中でも最大級の亜炭採掘場は八木山南住宅地近くにあったトンネルで、ここで掘り出された亜炭は専用に敷かれた線路上をトロッコで西多賀(現在の国道286号西多賀交差点付近)迄運び出され、健在であった秋保電鉄の貨物列車で長町まで運ばれ、仙台市電の貨車で仙台市内まで運ばれ市内の家屋の風呂や台所の竈の燃料となっていたのである。
 亜炭は細工を施し磨き上げると黒く光沢のある見事な置物になるが、仙台藩の昔から貧乏武士達の内職工芸品として有名であったのである。
 昭和40年代に入る頃からのガスや石油ストーブの普及で亜炭の需要は急激に減少し、それと共に埋もれ木細工も消えていったのだ。
 国道4号線沿いの三本木付近にある亜炭資料館には、10トンという巨大な亜炭の塊が展示されている。一度ご覧あれ、ビックリします。

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2019年6月 1日 (土)

第8回在仙東京六大学平成会

5月24日金曜日びすとろぼんてんにて

第8回在仙東京六大学平成会が開催されました。

 

持ち回りで開催されるこの平成会。

今回幹事は東大さんでした。

 

今回も50名近く集まり、とても賑やかな会になりました。

 

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今回の平成会はオーバーエイジ枠が設けられました。

平成卒じゃないけど、参加したい方はぜひ、お声掛け下さい!

 

 

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場所を変えて、二次会です。

二次会に駆けつけてくれた若者もいました!!

 

 

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2019年5月31日 (金)

5月アイビー会

5月15日久々のアイビー会です。

 

総会案内の作業した後のアイビー会です。

 

作業の後のビールは余計に美味しいです!

 

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2019年5月 7日 (火)

2019年5月アイビー随筆

アイビー随筆5月号
 アイビー随筆「ステラポラリス」
             37年 理学部卒 大内 建二
 毎年5月になると一つの絶景の記憶が蘇る。快晴の駿河湾越しに望まれる白雪をいただいた富士山を背景に、伊豆の西海岸の木負(キショウ)海岸に停泊する純白の大型ホテルシップ「スカンジナビア」号である。
 この船は1927年にスエーデンで建造されたクルーズ専用船「ステラ・ポラリス(北極星)」である。クルーズという最高級の娯楽がヨーロッパやアメリカの王侯貴族や富豪の娯楽としてはやり出した当時、彼らのために特別に建造された最高級のクルーズ専用船であったのだ。
 1969年に西武鉄道グループの(株)コクドが伊豆観光の目玉施設として老朽化した本船を買い取り、木負海岸に着岸させホテルシップとしての営業を開始したのであった。以来ホテルシップ「スカンジナビア号」と名前を変えたこの船は大人気となり、(株)コクドの夢は適えられたのであった。
 総トン数5101トンのこの純白の船は古今世界の名船の中でもトップクラスの有名な船で、旅客は全てヨーロッパ王室の人々やヨーロッパやアメリカの富豪や名優達であった。
 船内の公室も船室も贅をつくした北欧風のデザインの仕上がりで、船内に入っただけでも最高級のホテルに入った感じがするのであった。船首側に位置するラウンジは木目のモザイク加工の磨き上げられた壁に覆われ、深々とした絨毯の上には、スエーデン色というべきライトブルーの生地の肘掛椅子やソファーが並ぶ。それに続くメインエントランスの壁の全面は「木目込み細工」の芸術品のような仕上がりとなっている。
 その隣のスモーキングルームも重厚で上品な雰囲気で、周囲の厚手のガラスの全てには北欧を代表する悲劇の物語「ペールギュント」を題材にしたエッチングが施されている。
 この船の広いダイニングルームは宿泊客のレストランであると同時に、昼は本場のバイキング料理(スモーガスボード)を提供するレストランとして観光客達の人気の的であった。私もかつて仕事上や私的で数回このレストランを訪れた。本場のスモーガスボード料理は素晴らしい味である。そんじょそこらの高級バイキング料理と比べても雲泥の差があった。私が座る席やテーブルには、かつてどのような王侯貴族や富豪が着席したのかと思うと、感慨深いものがあった。
 この船は保存記念船としてスエーデンに再び買い取られ故国に向かう途中、1992年に紀伊半島沖で荒天のために漏水が激しく沈没した。「浮かぶ世界遺産」とでもいうべき船であった。船好きの私には忘れられない船である。

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2019年4月 2日 (火)

2019年4月アイビー随筆

アイビー随筆4月号

 アイビー随筆「夜汽車」   37年理学部卒

                  大内 建二

 「夜汽車」という言葉は今ではほぼ死語になっている。演歌の歌詞の中では時々聞かれるが、そこに醸し出される背景は哀愁のこもった情景である。「夜汽車の窓のはるか遠くに見える人家の灯火」、などはその代表的な雰囲気であろう。

 夜汽車とは同じ夜行列車でも特急寝台列車などを指すものではない。昭和40年代頃まで普通に見られた夜行の長距離鈍行列車を指すのである。急行券や寝台券を買う余裕のない貧乏学生にとってはかけがえのない「動く安宿」であったのだ。故郷に帰省する、或いは長距離旅行をする場合には学生の格好の移動手段であった。

 記録に残る日本最長距離の「夜汽車」は、昭和30年代前半まで存在した「東京発門司行」の普通列車であった。全行程1100㎞、所要時間31時間41分。午後2時20分に東京駅を出発し門司着が翌日の22時1分である。

 私が大学2年生の時に所属するサークルに宮崎県都城出身の新入部員が入部してきた。小柄だが頑固そうな頑丈な体躯の学生だ。彼は年に冬休みだけ故郷に帰省した。往復の交通費を倹約しさらに長距離の急行料金を倹約するために帰省は年一回とし、わざわざ往復の東京・都城間も普通鈍行列車に1500㎞乗車したのだ。苦難の旅だ。

往復交通費は現在の価格にして鈍行列車に乗っても30、000円はかかった。急行に乗ればさらに片道6,000円もする高い急行券を買わなければならず、彼の年に一回の帰省の往復は、東京から都城までの往復を常に門司駅で日豊本線乗り継ぎの「鈍行列車」を使ったのである。片道全所要時間43時間04分。二昼夜鈍行「夜汽車」の旅である。九州を代表する我慢強い「肥後もっこす」のような頑固人間でなければ、音を上げる技である。

 先日ツラツラと指折り数えたら、私は生涯で35回も「夜汽車」に乗っていた。最長時間は上野から盛岡の二つ先の滝沢駅までの544・3㎞。鉄道ファンであるからこそ出来ることで、所要時間は14時間45分で食べた駅弁は二食。寝不足と尻が痛くなった記憶が蘇ったが、都城男児のまだ三分の一の距離なのだ。

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2019年3月 7日 (木)

2019年3月アイビー随筆

アイビー随筆3月号
 アイビー随筆「珍木」
             37年理学部卒 大内 建二
 日本国内にはほんの僅かしか生育していない誠に珍しい樹木が存在する。その代表的な樹木に「レバノン杉」」がある。中東のレバノン国の国旗のデザインは風変わりである。旗の中央に緑の一本の樹木が描かれているが、これがレバノン杉である。レバノン杉は紀元前2000年以前から優れた船材として、古代フェニキア人の間では貴重な貿易品として周辺諸国に輸出していたのだ。現にエジプトのクフ王の墓からは全長二十メートルを超える、レバノン杉で出来た船の副葬品が出土されているのだ。
 レバノン杉は現在の中東のレバノンを中心に、シリア、トルコなどにも広く繁茂していたヒマラヤスギの仲間であるが、その樹形は独特である。船材として乱伐の結果、西暦千年頃には既に枯渇してしまっていたのだ。
 現在レバノン杉はレバノン国内の「カディーシャの森」という東京ドーム程度の広さの森だけに生育しており、世界遺産として厳重に管理されている。実は日本には現在3本のレバノン杉が「生存」している。既に樹齢150年を越えているはずである。
 明治20年にレバノン国が日本との国交を開始する記念として数本のレバノン杉の若木を日本に送り届けてきたのだ。その中の3本が現存している。東京の新宿御苑に2本、赤坂迎賓館の裏庭に1本。旗のデザインと同じ独特な樹形のレバノン杉、機会があったら一度ご覧あれ。
 仙台野草園にも1本の珍木が植わっている。公園の中央広場の片隅に植わっている「ハンカチの木」だ。4月頃、まるで真っ白なハンカチの中央を摘み垂らしたような姿の花が咲く。正に真っ白なハンカチが垂れ下がっているような花を咲かせる珍木である。この木は日本では他に東京都内に数本、その他には宮崎県の某公園に多少植わっているだけのまさに珍木中の珍木なのである。暖かくなったら一度野草園に行かれては。

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2019年2月 3日 (日)

楽天戸村選手・田中選手激励会

1月25日仙台国際ホテルにて

 

東北楽天ゴールデンイーグルスの

 

戸村選手・田中選手の 激励会が開催されました。

 

 

 

 

 

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今回は選手と直接、ふれあっていただこうと

 

選手には無理言って、全テーブルをそれぞれ回ってもらいました。

 

 

 

各テーブル、サインをもらったり、写真を撮ったり

 

とても贅沢な時間を過ごせたのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

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全テーブルを回ってもらった後、田中選手へ新人王獲得の

 

花束贈呈をしました。

 

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田中選手ご本人は恐縮していて、新人王については

 

何もやらないで結構ですと言われていたのですが、

 

立教・野手としては1958年の長嶋茂雄さん以来です。

 

さすがにスルーはできないとの主催者の判断で

 

花束贈呈だけやらせていただきました。

 

 

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ここからは選手に着席してもらって

 

トークショーです。

 

 

 

スポーツ担当の下山アナです。

 

上手く、色々な話、聞き出してくれました。

 

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二人が並んで微笑んでいるとさすが、立教ボーイ!

 

イケメン!と思うのは私だけでしょうか・・・

 

 

 

 

 

 

 

今回の両選手に、事前に皆さんへのプレゼントとして

 

私物グッズの提供をお願いしました。

 

「特別感を出すためになんでも

 

良いので使用感のあるもの!」という無茶なお願いでしたが、

 

お二人とも快く、グッズを持って来てくれました。

 

 

 

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持ってきたユニフォームを自身に当ててくれている田中選手。

 

田中選手のファンだったらたまらないお宝グッズでしょうね!

 

 

 

ただのじゃんけん大会で決めるのは面白くないという

 

下山アナが考えてくれた、グッズ争奪ドラフト抽選会。

 

自分の欲しいグッズを抽選会までに選んでもらい投票。

 

そして、抽選会にて、自分が選んだグッズの時に前に出て

 

全員で順番に抽選。ドラフトと同じように、全員がくじを引いて

 

一斉に開票。


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たった1枚の「交渉権獲得」を見事に当てたのは

 

以下の方達です!

 


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なんと、田中選手のグッズは見事、将来の野球選手!ばかりでした。

 

田中選手も喜んでくれていました。



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そして選手へ激励です。

 

校歌斉唱からの応援団によるエールです。

 

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こちらの応援団も宮城立教会デビューです。

 

やはり、本物は違います!

 

本当に会が締まります!




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両選手と校歌斉唱ができるのも本当に嬉しいです。

 

 

 

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戸村選手が持つと花束が小さくみえる・・・

 

結構大きい花束用意したつもりなんですが・・・

 

 

 

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最後は皆さんに見送られて退場となりました。

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本当に両選手には2時間ずーっと

 

ファンサービスに徹していただきました。

 

同窓であるというだけで、

 

こんなにしてもらえるなんて

 

幸せだな~とつくづく思いました。

 

 

 

戸村選手・田中選手 ありがとうございました!

 

 

 

今年一年、とにかく、怪我なく過ごしてもらいたいと

 

切に願います!

 

 

 

 

 

 

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2019年2月アイビー随筆

アイビー随筆2月号

  アイビー随筆「コロッケ」

             37年理学部卒 大内 建二

 コロッケは日本を代表する「純日本の洋風総菜」である。昭和2年に東京下町の定食店「長楽軒」の亭主が考案し、客に出したのが日本初のコロッケと伝えられている。もともとフランスには肉や魚を固めのホワイトソースでくるんで衣をつけて油で揚げた「クロケット」という料理があるそうだが、亭主は何処からかこの知識を仕入れ、自己流に茹でたジャガイモをつぶし、玉ねぎのみじん切りとひき肉を混ぜ、小判型にまとめて衣を付けて挙げたものを考案し、「コロッケ」と名付け客に出したそうである。ところがこれが大受けし客の評判となり、たちまち東京中に知れ渡り一躍「コロッケブーム」が沸き起こったのだ。現に昭和初期には日本中にこの

ブームをもじって「コロッケの歌」という歌が大流行した。

 私もこの歌を何故か知っている。「女房もらってうれしかったが、出てくるおかずがコロッケ、コロッケ。今日もコロッケ、明日もコロッケ、これじゃ年がら年中コロッケ―。わっははのわっははのこりゃ可笑し」という何ともおどけた歌詞で、その曲も如何にも昭和初期を彷彿させる素朴なメロディー。当時超有名なコメディアンであった「エノケン(榎本健一)」が歌い、一躍有名になったのである。

 私は家では比較的料理をする男性であると思っている。その中の得意なレパートリーの中にコロッケがある。ただジャガイモを潰しひき肉と玉ネギを混ぜれば良いというわけにはゆかない。材料により味が大きく変わるのである。ジャガイモは北海道産の男爵イモに限る。挽肉は合挽が最も美味しくなる。衣は市販品の中でも「やわらかい」ものが最適。但し味の加減は難しい。ジャガイモを潰すときにはバターを加える。男の料理というものは何故かこだわりが多くなり、女性からは敬遠されがちになる。

 コロッケの形は一般的には小判型であるが、私は俵型で成形する。そして多めに作り翌日の昼飯にも食べるのだ。この場合温めなおすのは禁物。冷めたままの翌日のコロッケはカレーと同じく一日置くと何故か一層美味しくなる。

 この純日本風「クロケット」は最近来日する外国人観光客に結構な人気だそうで、特に東京の谷中商店街の小さなコロッケ屋はガイド本にも紹介されているらしく、毎日沢山の外国人観光客が訪れ一個80円のアツアツのコロッケを買い、楽しみながら食べ歩きしているそうである。中にはレシピを持ち帰り帰国してから作っている人もいるそうだ。

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