2019年5月 7日 (火)

2019年5月アイビー随筆

アイビー随筆5月号
 アイビー随筆「ステラポラリス」
             37年 理学部卒 大内 建二
 毎年5月になると一つの絶景の記憶が蘇る。快晴の駿河湾越しに望まれる白雪をいただいた富士山を背景に、伊豆の西海岸の木負(キショウ)海岸に停泊する純白の大型ホテルシップ「スカンジナビア」号である。
 この船は1927年にスエーデンで建造されたクルーズ専用船「ステラ・ポラリス(北極星)」である。クルーズという最高級の娯楽がヨーロッパやアメリカの王侯貴族や富豪の娯楽としてはやり出した当時、彼らのために特別に建造された最高級のクルーズ専用船であったのだ。
 1969年に西武鉄道グループの(株)コクドが伊豆観光の目玉施設として老朽化した本船を買い取り、木負海岸に着岸させホテルシップとしての営業を開始したのであった。以来ホテルシップ「スカンジナビア号」と名前を変えたこの船は大人気となり、(株)コクドの夢は適えられたのであった。
 総トン数5101トンのこの純白の船は古今世界の名船の中でもトップクラスの有名な船で、旅客は全てヨーロッパ王室の人々やヨーロッパやアメリカの富豪や名優達であった。
 船内の公室も船室も贅をつくした北欧風のデザインの仕上がりで、船内に入っただけでも最高級のホテルに入った感じがするのであった。船首側に位置するラウンジは木目のモザイク加工の磨き上げられた壁に覆われ、深々とした絨毯の上には、スエーデン色というべきライトブルーの生地の肘掛椅子やソファーが並ぶ。それに続くメインエントランスの壁の全面は「木目込み細工」の芸術品のような仕上がりとなっている。
 その隣のスモーキングルームも重厚で上品な雰囲気で、周囲の厚手のガラスの全てには北欧を代表する悲劇の物語「ペールギュント」を題材にしたエッチングが施されている。
 この船の広いダイニングルームは宿泊客のレストランであると同時に、昼は本場のバイキング料理(スモーガスボード)を提供するレストランとして観光客達の人気の的であった。私もかつて仕事上や私的で数回このレストランを訪れた。本場のスモーガスボード料理は素晴らしい味である。そんじょそこらの高級バイキング料理と比べても雲泥の差があった。私が座る席やテーブルには、かつてどのような王侯貴族や富豪が着席したのかと思うと、感慨深いものがあった。
 この船は保存記念船としてスエーデンに再び買い取られ故国に向かう途中、1992年に紀伊半島沖で荒天のために漏水が激しく沈没した。「浮かぶ世界遺産」とでもいうべき船であった。船好きの私には忘れられない船である。

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2019年4月 2日 (火)

2019年4月アイビー随筆

アイビー随筆4月号

 アイビー随筆「夜汽車」   37年理学部卒

                  大内 建二

 「夜汽車」という言葉は今ではほぼ死語になっている。演歌の歌詞の中では時々聞かれるが、そこに醸し出される背景は哀愁のこもった情景である。「夜汽車の窓のはるか遠くに見える人家の灯火」、などはその代表的な雰囲気であろう。

 夜汽車とは同じ夜行列車でも特急寝台列車などを指すものではない。昭和40年代頃まで普通に見られた夜行の長距離鈍行列車を指すのである。急行券や寝台券を買う余裕のない貧乏学生にとってはかけがえのない「動く安宿」であったのだ。故郷に帰省する、或いは長距離旅行をする場合には学生の格好の移動手段であった。

 記録に残る日本最長距離の「夜汽車」は、昭和30年代前半まで存在した「東京発門司行」の普通列車であった。全行程1100㎞、所要時間31時間41分。午後2時20分に東京駅を出発し門司着が翌日の22時1分である。

 私が大学2年生の時に所属するサークルに宮崎県都城出身の新入部員が入部してきた。小柄だが頑固そうな頑丈な体躯の学生だ。彼は年に冬休みだけ故郷に帰省した。往復の交通費を倹約しさらに長距離の急行料金を倹約するために帰省は年一回とし、わざわざ往復の東京・都城間も普通鈍行列車に1500㎞乗車したのだ。苦難の旅だ。

往復交通費は現在の価格にして鈍行列車に乗っても30、000円はかかった。急行に乗ればさらに片道6,000円もする高い急行券を買わなければならず、彼の年に一回の帰省の往復は、東京から都城までの往復を常に門司駅で日豊本線乗り継ぎの「鈍行列車」を使ったのである。片道全所要時間43時間04分。二昼夜鈍行「夜汽車」の旅である。九州を代表する我慢強い「肥後もっこす」のような頑固人間でなければ、音を上げる技である。

 先日ツラツラと指折り数えたら、私は生涯で35回も「夜汽車」に乗っていた。最長時間は上野から盛岡の二つ先の滝沢駅までの544・3㎞。鉄道ファンであるからこそ出来ることで、所要時間は14時間45分で食べた駅弁は二食。寝不足と尻が痛くなった記憶が蘇ったが、都城男児のまだ三分の一の距離なのだ。

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2019年3月 7日 (木)

2019年3月アイビー随筆

アイビー随筆3月号
 アイビー随筆「珍木」
             37年理学部卒 大内 建二
 日本国内にはほんの僅かしか生育していない誠に珍しい樹木が存在する。その代表的な樹木に「レバノン杉」」がある。中東のレバノン国の国旗のデザインは風変わりである。旗の中央に緑の一本の樹木が描かれているが、これがレバノン杉である。レバノン杉は紀元前2000年以前から優れた船材として、古代フェニキア人の間では貴重な貿易品として周辺諸国に輸出していたのだ。現にエジプトのクフ王の墓からは全長二十メートルを超える、レバノン杉で出来た船の副葬品が出土されているのだ。
 レバノン杉は現在の中東のレバノンを中心に、シリア、トルコなどにも広く繁茂していたヒマラヤスギの仲間であるが、その樹形は独特である。船材として乱伐の結果、西暦千年頃には既に枯渇してしまっていたのだ。
 現在レバノン杉はレバノン国内の「カディーシャの森」という東京ドーム程度の広さの森だけに生育しており、世界遺産として厳重に管理されている。実は日本には現在3本のレバノン杉が「生存」している。既に樹齢150年を越えているはずである。
 明治20年にレバノン国が日本との国交を開始する記念として数本のレバノン杉の若木を日本に送り届けてきたのだ。その中の3本が現存している。東京の新宿御苑に2本、赤坂迎賓館の裏庭に1本。旗のデザインと同じ独特な樹形のレバノン杉、機会があったら一度ご覧あれ。
 仙台野草園にも1本の珍木が植わっている。公園の中央広場の片隅に植わっている「ハンカチの木」だ。4月頃、まるで真っ白なハンカチの中央を摘み垂らしたような姿の花が咲く。正に真っ白なハンカチが垂れ下がっているような花を咲かせる珍木である。この木は日本では他に東京都内に数本、その他には宮崎県の某公園に多少植わっているだけのまさに珍木中の珍木なのである。暖かくなったら一度野草園に行かれては。

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2019年2月 3日 (日)

楽天戸村選手・田中選手激励会

1月25日仙台国際ホテルにて

 

東北楽天ゴールデンイーグルスの

 

戸村選手・田中選手の 激励会が開催されました。

 

 

 

 

 

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今回は選手と直接、ふれあっていただこうと

 

選手には無理言って、全テーブルをそれぞれ回ってもらいました。

 

 

 

各テーブル、サインをもらったり、写真を撮ったり

 

とても贅沢な時間を過ごせたのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

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全テーブルを回ってもらった後、田中選手へ新人王獲得の

 

花束贈呈をしました。

 

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田中選手ご本人は恐縮していて、新人王については

 

何もやらないで結構ですと言われていたのですが、

 

立教・野手としては1958年の長嶋茂雄さん以来です。

 

さすがにスルーはできないとの主催者の判断で

 

花束贈呈だけやらせていただきました。

 

 

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ここからは選手に着席してもらって

 

トークショーです。

 

 

 

スポーツ担当の下山アナです。

 

上手く、色々な話、聞き出してくれました。

 

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二人が並んで微笑んでいるとさすが、立教ボーイ!

 

イケメン!と思うのは私だけでしょうか・・・

 

 

 

 

 

 

 

今回の両選手に、事前に皆さんへのプレゼントとして

 

私物グッズの提供をお願いしました。

 

「特別感を出すためになんでも

 

良いので使用感のあるもの!」という無茶なお願いでしたが、

 

お二人とも快く、グッズを持って来てくれました。

 

 

 

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持ってきたユニフォームを自身に当ててくれている田中選手。

 

田中選手のファンだったらたまらないお宝グッズでしょうね!

 

 

 

ただのじゃんけん大会で決めるのは面白くないという

 

下山アナが考えてくれた、グッズ争奪ドラフト抽選会。

 

自分の欲しいグッズを抽選会までに選んでもらい投票。

 

そして、抽選会にて、自分が選んだグッズの時に前に出て

 

全員で順番に抽選。ドラフトと同じように、全員がくじを引いて

 

一斉に開票。


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たった1枚の「交渉権獲得」を見事に当てたのは

 

以下の方達です!

 


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なんと、田中選手のグッズは見事、将来の野球選手!ばかりでした。

 

田中選手も喜んでくれていました。



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そして選手へ激励です。

 

校歌斉唱からの応援団によるエールです。

 

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こちらの応援団も宮城立教会デビューです。

 

やはり、本物は違います!

 

本当に会が締まります!




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両選手と校歌斉唱ができるのも本当に嬉しいです。

 

 

 

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戸村選手が持つと花束が小さくみえる・・・

 

結構大きい花束用意したつもりなんですが・・・

 

 

 

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最後は皆さんに見送られて退場となりました。

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本当に両選手には2時間ずーっと

 

ファンサービスに徹していただきました。

 

同窓であるというだけで、

 

こんなにしてもらえるなんて

 

幸せだな~とつくづく思いました。

 

 

 

戸村選手・田中選手 ありがとうございました!

 

 

 

今年一年、とにかく、怪我なく過ごしてもらいたいと

 

切に願います!

 

 

 

 

 

 

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2019年2月アイビー随筆

アイビー随筆2月号

  アイビー随筆「コロッケ」

             37年理学部卒 大内 建二

 コロッケは日本を代表する「純日本の洋風総菜」である。昭和2年に東京下町の定食店「長楽軒」の亭主が考案し、客に出したのが日本初のコロッケと伝えられている。もともとフランスには肉や魚を固めのホワイトソースでくるんで衣をつけて油で揚げた「クロケット」という料理があるそうだが、亭主は何処からかこの知識を仕入れ、自己流に茹でたジャガイモをつぶし、玉ねぎのみじん切りとひき肉を混ぜ、小判型にまとめて衣を付けて挙げたものを考案し、「コロッケ」と名付け客に出したそうである。ところがこれが大受けし客の評判となり、たちまち東京中に知れ渡り一躍「コロッケブーム」が沸き起こったのだ。現に昭和初期には日本中にこの

ブームをもじって「コロッケの歌」という歌が大流行した。

 私もこの歌を何故か知っている。「女房もらってうれしかったが、出てくるおかずがコロッケ、コロッケ。今日もコロッケ、明日もコロッケ、これじゃ年がら年中コロッケ―。わっははのわっははのこりゃ可笑し」という何ともおどけた歌詞で、その曲も如何にも昭和初期を彷彿させる素朴なメロディー。当時超有名なコメディアンであった「エノケン(榎本健一)」が歌い、一躍有名になったのである。

 私は家では比較的料理をする男性であると思っている。その中の得意なレパートリーの中にコロッケがある。ただジャガイモを潰しひき肉と玉ネギを混ぜれば良いというわけにはゆかない。材料により味が大きく変わるのである。ジャガイモは北海道産の男爵イモに限る。挽肉は合挽が最も美味しくなる。衣は市販品の中でも「やわらかい」ものが最適。但し味の加減は難しい。ジャガイモを潰すときにはバターを加える。男の料理というものは何故かこだわりが多くなり、女性からは敬遠されがちになる。

 コロッケの形は一般的には小判型であるが、私は俵型で成形する。そして多めに作り翌日の昼飯にも食べるのだ。この場合温めなおすのは禁物。冷めたままの翌日のコロッケはカレーと同じく一日置くと何故か一層美味しくなる。

 この純日本風「クロケット」は最近来日する外国人観光客に結構な人気だそうで、特に東京の谷中商店街の小さなコロッケ屋はガイド本にも紹介されているらしく、毎日沢山の外国人観光客が訪れ一個80円のアツアツのコロッケを買い、楽しみながら食べ歩きしているそうである。中にはレシピを持ち帰り帰国してから作っている人もいるそうだ。

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2019年1月 4日 (金)

2019年1月アイビー随筆

アイビー随筆1月号

 アイビー随筆「お正月」

               37年 理学部卒 大内建二

 「あけましておめでとうございます。今年も宜しくお願い致します」

で始まる年賀状も近年は減少の一途をたどっているとのこと。年賀状を出さない人の大半は若い世代なそうであるが、彼らはわざわざ面倒な賀状を出さなくとも、携帯のメールで「あけおめ」で済ますことが出来るのだ。時代は大きく変わりつつあるのだ。ところが最近では高齢者が年賀状を止める宣言の、「終活年賀状」というものまで現れたそうである。

 近年人々は字を書かなくなった。携帯でもパソコンでも指先を使えば「字を書かなくとも字が書ける」のだ。しかし弊害は大きい。字を書かなくなった代償は「書く字が著しく下手になっている」ことにつながる。

かく言う私も例外ではない。以前であれば一度に何万語もの字を原稿用紙に書かなければならなかったことが、指先チョイチョイで代用できるのである。「それでは駄目じゃん」と言われても仕方がない。

 大体お正月の様相が全くの様変わりである。今は凧揚げや羽根つきなどをやる子供など全く見かけない。お正月料理にしてからがそうだ。デパートやスーパーに頼めば大みそかまでにはおせち料理が届く。主婦にとっては誠にありがたいことだが、その内容は昔懐かしい純日本風の料理が激減しているのだ。主流はハム、ソーセージ、ローストビーフ、鶏のから揚げ

等々,我々の大学生の頃であれば“やせ我慢”して「ケトウ(これは明治時代に生まれた西洋人を指す用語。今では差別用語として使えない)の食い物だ」と蔑んだであろうが、その半面食欲を注がれる食べ物なのである。このケトウの食べ物が主流になった反面、主婦たちは田作りや煮物が出来なくなった。

 仙台の正月料理といえば「ナメタガレイ」が定番であるが、これも主流になったのは昭和50年代に入ってからのようだ。それまではキチジやメヌケの煮物が主流であったはずである。しかし現在ではこの二つは「ナメタ」より遥かに高価な食材になっている。私などはここ何年も食べたことがない。平時でもアジくらいの大きさのキチジが目の玉が飛び出るほど高価になっている。

 仙台の正月料理はクルミ餅や納豆餅そしてずんだ餅で十分ではないか。そういえば杵と臼で餅を搗く光景は余程のイベントでない限り、一般の生活からは消え去っている。餅は全て機械でつかれたものである。食感に何となくザラザラした感じの残る「臼・杵」コンビの餅が食べたい。

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2018年12月31日 (月)

2018年クリスマス会

12月2日(日)にホテルグランテラス仙台国分町にて

クリスマス家族会が開催されました。

 

今年もたくさん、家族連れで参加して下さいました!

 

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初参加、遠方からの参加者の紹介です!

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野球部の優勝報告です!

 

 

 

今回のビンゴの景品は「だて正夢」(米)や立教グッズなど、

ちょっと気合入れて、仕入れてみました! 

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今回、いかい工芸さんからは

真珠のネックレスを頂戴しました。

せっかくだからということで、

女性限定でじゃんけん大会になりました。

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勝者決定です!!





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なんとなんと、楽天イーグルスの田中選手が
サプライズ登場してくれました!

本当に誰も知らなくて、幹事もびっくりです!

とっても素敵なクリスマスプレゼントになりました!

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2018年12月10日 (月)

2018年12月アイビー随筆

アイビー随筆 12月号
 アイビー随筆「運転経歴証明書」
           昭和37年理学部卒 大内 建二

 私が自動車運転免許証を取得したのは43歳の時であった。会社の仙台支店に転勤して来た時、自動車の運転が出来ないことが如何に不便であるかをイヤというほど体験し、一念発起し市内の花壇自動車学校に通い運転免許証を取得した。以来34年間でマイカーや転勤先の営業車を運転した総距離は49万7千キロメートルに達した。地球の赤道上を12周し、地球から月までの距離の六割を走ったことになる。
 しかし2年前にマイカーの車検切れを機会に運転を止めた。免許証を更新したばかりであったが、同乗する家内が「最近見落としが多いみたい」という言葉に気が付かされた。確かに信号の見落としや案内板の見落としが増えている感じなのだ。
 製造会社には「ヒヤリハット防止運動」というものがある。これは「ヒヤリ」や「ハッ」とする体験が10回重なると必ず重大事故に繋がる、という事に対する戒め運動なのだ。近年高齢運転者の運転事故が多発している事は皆さんご承知の通り。高齢運転者は頑固さを増すに従い「自分は大丈夫」という信念が逆に強固になってくる。大丈夫と思っていても確実に反応が鈍くなっていることが自覚できないのだ。
 思い切って運転を止めた。自分や家族のための重要な安全対策でもあるのだ。8月初めに南警察署の交通安全協会を訪れ「免許証返納」を申し入れた。2週間後に「運転経歴証明書」が出来ましたとの連絡が入った。受け取りに行くと「ご苦労様でした」と一言言葉をかけられたが、渡された「運転経歴証明書」は免許証そっくりである。しかし自慢であったゴールドのラインが入っていたところが「グレー」の帯に変わっている。「俺はまだグレーの人間ではないぞ」とは言いたかったが、高齢者であることには間違いない。ありがたく頂戴した。身分証明書やタクシー割引証明として今後はこれを役立てよう。

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2018年12月 9日 (日)

11月アイビー会(ボジョレー・ヌーボーを嗜む会)

11月15日第3木曜日にアイビー会が

開催されました。

 

11月のアイビー会は毎年、

「ボジョレー・ヌーボーを嗜む会」として

開催していますが、

今回はそれに平成会を重ねて開催してみました。

 

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一年に一度のボジョレーヌーボー。

やぶ信でワインはこの時だけです!





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2018年12月 1日 (土)

第11回在仙東京六大学校友野球大会

11月11日(日)仙台一高第2グラウンドにて

第11回在仙東京六大学校友野球大会が開催されました。

 

昨年から、明治、早稲田、立教の3チームでの

対抗戦になっています。

 

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表彰式は場所をかえて、

りとらいで開催です。

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立教は明治にも早稲田にも勝利し

2連覇達成です!

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«第9回東京六大学平成会ゴルフコンペ