2019年3月 7日 (木)

2019年3月アイビー随筆

アイビー随筆3月号
 アイビー随筆「珍木」
             37年理学部卒 大内 建二
 日本国内にはほんの僅かしか生育していない誠に珍しい樹木が存在する。その代表的な樹木に「レバノン杉」」がある。中東のレバノン国の国旗のデザインは風変わりである。旗の中央に緑の一本の樹木が描かれているが、これがレバノン杉である。レバノン杉は紀元前2000年以前から優れた船材として、古代フェニキア人の間では貴重な貿易品として周辺諸国に輸出していたのだ。現にエジプトのクフ王の墓からは全長二十メートルを超える、レバノン杉で出来た船の副葬品が出土されているのだ。
 レバノン杉は現在の中東のレバノンを中心に、シリア、トルコなどにも広く繁茂していたヒマラヤスギの仲間であるが、その樹形は独特である。船材として乱伐の結果、西暦千年頃には既に枯渇してしまっていたのだ。
 現在レバノン杉はレバノン国内の「カディーシャの森」という東京ドーム程度の広さの森だけに生育しており、世界遺産として厳重に管理されている。実は日本には現在3本のレバノン杉が「生存」している。既に樹齢150年を越えているはずである。
 明治20年にレバノン国が日本との国交を開始する記念として数本のレバノン杉の若木を日本に送り届けてきたのだ。その中の3本が現存している。東京の新宿御苑に2本、赤坂迎賓館の裏庭に1本。旗のデザインと同じ独特な樹形のレバノン杉、機会があったら一度ご覧あれ。
 仙台野草園にも1本の珍木が植わっている。公園の中央広場の片隅に植わっている「ハンカチの木」だ。4月頃、まるで真っ白なハンカチの中央を摘み垂らしたような姿の花が咲く。正に真っ白なハンカチが垂れ下がっているような花を咲かせる珍木である。この木は日本では他に東京都内に数本、その他には宮崎県の某公園に多少植わっているだけのまさに珍木中の珍木なのである。暖かくなったら一度野草園に行かれては。

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2019年2月 3日 (日)

2019年2月アイビー随筆

アイビー随筆2月号

  アイビー随筆「コロッケ」

             37年理学部卒 大内 建二

 コロッケは日本を代表する「純日本の洋風総菜」である。昭和2年に東京下町の定食店「長楽軒」の亭主が考案し、客に出したのが日本初のコロッケと伝えられている。もともとフランスには肉や魚を固めのホワイトソースでくるんで衣をつけて油で揚げた「クロケット」という料理があるそうだが、亭主は何処からかこの知識を仕入れ、自己流に茹でたジャガイモをつぶし、玉ねぎのみじん切りとひき肉を混ぜ、小判型にまとめて衣を付けて挙げたものを考案し、「コロッケ」と名付け客に出したそうである。ところがこれが大受けし客の評判となり、たちまち東京中に知れ渡り一躍「コロッケブーム」が沸き起こったのだ。現に昭和初期には日本中にこの

ブームをもじって「コロッケの歌」という歌が大流行した。

 私もこの歌を何故か知っている。「女房もらってうれしかったが、出てくるおかずがコロッケ、コロッケ。今日もコロッケ、明日もコロッケ、これじゃ年がら年中コロッケ―。わっははのわっははのこりゃ可笑し」という何ともおどけた歌詞で、その曲も如何にも昭和初期を彷彿させる素朴なメロディー。当時超有名なコメディアンであった「エノケン(榎本健一)」が歌い、一躍有名になったのである。

 私は家では比較的料理をする男性であると思っている。その中の得意なレパートリーの中にコロッケがある。ただジャガイモを潰しひき肉と玉ネギを混ぜれば良いというわけにはゆかない。材料により味が大きく変わるのである。ジャガイモは北海道産の男爵イモに限る。挽肉は合挽が最も美味しくなる。衣は市販品の中でも「やわらかい」ものが最適。但し味の加減は難しい。ジャガイモを潰すときにはバターを加える。男の料理というものは何故かこだわりが多くなり、女性からは敬遠されがちになる。

 コロッケの形は一般的には小判型であるが、私は俵型で成形する。そして多めに作り翌日の昼飯にも食べるのだ。この場合温めなおすのは禁物。冷めたままの翌日のコロッケはカレーと同じく一日置くと何故か一層美味しくなる。

 この純日本風「クロケット」は最近来日する外国人観光客に結構な人気だそうで、特に東京の谷中商店街の小さなコロッケ屋はガイド本にも紹介されているらしく、毎日沢山の外国人観光客が訪れ一個80円のアツアツのコロッケを買い、楽しみながら食べ歩きしているそうである。中にはレシピを持ち帰り帰国してから作っている人もいるそうだ。

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2019年1月 4日 (金)

2019年1月アイビー随筆

アイビー随筆1月号

 アイビー随筆「お正月」

               37年 理学部卒 大内建二

 「あけましておめでとうございます。今年も宜しくお願い致します」

で始まる年賀状も近年は減少の一途をたどっているとのこと。年賀状を出さない人の大半は若い世代なそうであるが、彼らはわざわざ面倒な賀状を出さなくとも、携帯のメールで「あけおめ」で済ますことが出来るのだ。時代は大きく変わりつつあるのだ。ところが最近では高齢者が年賀状を止める宣言の、「終活年賀状」というものまで現れたそうである。

 近年人々は字を書かなくなった。携帯でもパソコンでも指先を使えば「字を書かなくとも字が書ける」のだ。しかし弊害は大きい。字を書かなくなった代償は「書く字が著しく下手になっている」ことにつながる。

かく言う私も例外ではない。以前であれば一度に何万語もの字を原稿用紙に書かなければならなかったことが、指先チョイチョイで代用できるのである。「それでは駄目じゃん」と言われても仕方がない。

 大体お正月の様相が全くの様変わりである。今は凧揚げや羽根つきなどをやる子供など全く見かけない。お正月料理にしてからがそうだ。デパートやスーパーに頼めば大みそかまでにはおせち料理が届く。主婦にとっては誠にありがたいことだが、その内容は昔懐かしい純日本風の料理が激減しているのだ。主流はハム、ソーセージ、ローストビーフ、鶏のから揚げ

等々,我々の大学生の頃であれば“やせ我慢”して「ケトウ(これは明治時代に生まれた西洋人を指す用語。今では差別用語として使えない)の食い物だ」と蔑んだであろうが、その半面食欲を注がれる食べ物なのである。このケトウの食べ物が主流になった反面、主婦たちは田作りや煮物が出来なくなった。

 仙台の正月料理といえば「ナメタガレイ」が定番であるが、これも主流になったのは昭和50年代に入ってからのようだ。それまではキチジやメヌケの煮物が主流であったはずである。しかし現在ではこの二つは「ナメタ」より遥かに高価な食材になっている。私などはここ何年も食べたことがない。平時でもアジくらいの大きさのキチジが目の玉が飛び出るほど高価になっている。

 仙台の正月料理はクルミ餅や納豆餅そしてずんだ餅で十分ではないか。そういえば杵と臼で餅を搗く光景は余程のイベントでない限り、一般の生活からは消え去っている。餅は全て機械でつかれたものである。食感に何となくザラザラした感じの残る「臼・杵」コンビの餅が食べたい。

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2018年12月31日 (月)

2018年クリスマス会

12月2日(日)にホテルグランテラス仙台国分町にて

クリスマス家族会が開催されました。

 

今年もたくさん、家族連れで参加して下さいました!

 

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初参加、遠方からの参加者の紹介です!

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野球部の優勝報告です!

 

 

 

今回のビンゴの景品は「だて正夢」(米)や立教グッズなど、

ちょっと気合入れて、仕入れてみました! 

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今回、いかい工芸さんからは

真珠のネックレスを頂戴しました。

せっかくだからということで、

女性限定でじゃんけん大会になりました。

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勝者決定です!!





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なんとなんと、楽天イーグルスの田中選手が
サプライズ登場してくれました!

本当に誰も知らなくて、幹事もびっくりです!

とっても素敵なクリスマスプレゼントになりました!

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2018年12月10日 (月)

2018年12月アイビー随筆

アイビー随筆 12月号
 アイビー随筆「運転経歴証明書」
           昭和37年理学部卒 大内 建二

 私が自動車運転免許証を取得したのは43歳の時であった。会社の仙台支店に転勤して来た時、自動車の運転が出来ないことが如何に不便であるかをイヤというほど体験し、一念発起し市内の花壇自動車学校に通い運転免許証を取得した。以来34年間でマイカーや転勤先の営業車を運転した総距離は49万7千キロメートルに達した。地球の赤道上を12周し、地球から月までの距離の六割を走ったことになる。
 しかし2年前にマイカーの車検切れを機会に運転を止めた。免許証を更新したばかりであったが、同乗する家内が「最近見落としが多いみたい」という言葉に気が付かされた。確かに信号の見落としや案内板の見落としが増えている感じなのだ。
 製造会社には「ヒヤリハット防止運動」というものがある。これは「ヒヤリ」や「ハッ」とする体験が10回重なると必ず重大事故に繋がる、という事に対する戒め運動なのだ。近年高齢運転者の運転事故が多発している事は皆さんご承知の通り。高齢運転者は頑固さを増すに従い「自分は大丈夫」という信念が逆に強固になってくる。大丈夫と思っていても確実に反応が鈍くなっていることが自覚できないのだ。
 思い切って運転を止めた。自分や家族のための重要な安全対策でもあるのだ。8月初めに南警察署の交通安全協会を訪れ「免許証返納」を申し入れた。2週間後に「運転経歴証明書」が出来ましたとの連絡が入った。受け取りに行くと「ご苦労様でした」と一言言葉をかけられたが、渡された「運転経歴証明書」は免許証そっくりである。しかし自慢であったゴールドのラインが入っていたところが「グレー」の帯に変わっている。「俺はまだグレーの人間ではないぞ」とは言いたかったが、高齢者であることには間違いない。ありがたく頂戴した。身分証明書やタクシー割引証明として今後はこれを役立てよう。

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2018年12月 9日 (日)

11月アイビー会(ボジョレー・ヌーボーを嗜む会)

11月15日第3木曜日にアイビー会が

開催されました。

 

11月のアイビー会は毎年、

「ボジョレー・ヌーボーを嗜む会」として

開催していますが、

今回はそれに平成会を重ねて開催してみました。

 

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一年に一度のボジョレーヌーボー。

やぶ信でワインはこの時だけです!





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2018年12月 1日 (土)

第11回在仙東京六大学校友野球大会

11月11日(日)仙台一高第2グラウンドにて

第11回在仙東京六大学校友野球大会が開催されました。

 

昨年から、明治、早稲田、立教の3チームでの

対抗戦になっています。

 

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表彰式は場所をかえて、

りとらいで開催です。

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立教は明治にも早稲田にも勝利し

2連覇達成です!

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2018年11月30日 (金)

第9回東京六大学平成会ゴルフコンペ

11月10日(土)西仙台ゴルフカントリーにて

第9回東京六大学平成会ゴルフコンペが

早稲田さん幹事で開催されました。

 

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表彰式はいつのも通り場所をかえて

りとらいで行いました。

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今回優勝者。

こちらはなんと二度目の優勝。

二度の優勝は初めてじゃないかな。

 


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2018年11月27日 (火)

鈴懸の会

宮城立教会のレディース部会の鈴懸の会が

10月20日に開催されました。

 

今回の鈴懸の会は明治主催の講演会を聞きに行くことにしました。

 

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講演は大盛況で席が足りなくなるほどでした。

普段なかなか聞けない、宮城ゆかりの東京の話。

とても楽しかったです。


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講演後は場所を変えて、仙台国際ホテルの中華レストランで

美味しい食事を皆で頂きました。


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2018年11月15日 (木)

2018年11月アイビー随筆

アイビー随筆11月号

  アイビー随筆「観月楼」  

            37年理学部卒 大内 建二

 先日の河北新報の県民欄に、昭和26年当時の松島の観月楼の写真が掲載されていた。懐かしくなり今月はこの観月楼について一筆することにした。

 松島海岸通りから瑞巌寺に入る参道入り口の右角に、ひと際目立つ珍しい木造の三階建ての旅館風の建物がある。明治初年に建設された旅館「観月楼」であるが、旅館業は昭和40年代初めには廃業し現在は1階を土産物の店舗として営業している。風格のある建物で現在は宮城県の有形文化財に指定されている。俳聖正岡子規が20代の初め、松尾芭蕉生誕200年を記念して松島に来訪した時、彼はここに宿泊したと記録されている。

 私の中学3年生(昭和28年)の秋の修学旅行は中尊寺・松島・仙台の3泊4日(鈍行列車の車中2泊、旅館1泊)の旅であったが、唯一の宿泊旅館が観月楼であった。3階の目立つ角の客室が我々クラスメート10名にあてがわれた。今から思うと全くの贅沢であったのだ。窓からの松島海岸と島々の眺めは素晴らしかった“ように”記憶している。夕食に何を食べたか、どのようにして生まれて初めての「外泊」を楽しんだか、全く記憶にないが、旅館前の海岸で写されたクラスの集合写真を取り出して見たが、観月楼の姿は映っていない。

 それから27年後に会社の仙台支店勤務となり、幾度となく松島海岸通りを車で通過したが観月楼の姿はそのままであった。しかしこの頃には2階と3階の客室側の廊下にはカーテンが引かれ、旅館の営業はやめているようであった。そして1階は広い土産物売り場に変わっていた。有名な五大堂は旅館の目の前である。

 先年の東日本大震災の時、松島は正に奇跡的に巨大津波による甚大な被害は免れた。勿論受けなかったとはいっても海岸通りの建物1階は全て津波にやられ、瑞巌寺境内も被害を受けた。もちろん観月楼も1階は被害を受けたが、建物の破壊は免れた。松島湾の無数の大小の島々が防波堤となって津波の勢いを削いでくれたのである。

 観月楼の3階の屋根の四方の張り出し構造は独特で象徴的である。城の天守閣を思い起こさせるものがあり、有形文化財の貫録十分といった姿である。

 毎年秋になると何故か中学3年生の時の東北修学旅行が思い出され、真っ先に観月楼を思い起こすのだ。

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