2023年12月アイビー随筆
アイビー随筆 12月号
アイビー随筆「クリスマスディナー」
37年理学部卒
大内 建二
立教生時代の私はかなり真面目(?)であったように記憶する。12月24日「クリスマスイブ」の日は、午後4時からタッカーホールで開催される「クリスマス大晩祈」(クリスマスミサ)に出席し、心の邪気?を払い家路についた。12月の午後5時は既に暗い。本館前の二本の巨木のヒマラヤスギはクリスマスイルミネーションで飾られ、荘厳な雰囲気を醸し出す(この姿は現在はクリスマス時の池袋の恒例名所になっていると聞いている)。
一時間後に自宅にたどり着くが、この日は超多忙の父親も夕食の席に着く。クリスチャンの父親が短く主の祈りを唱え、家族で讃美歌を一曲歌った後に、家族そろって母の手作りの「クリスマス料理?」を家族で楽しく分け合い食べる。しかしどのような料理であったかは全く記憶がない。
現在の我が家のクリスマス晩餐?はどうか? 洗礼も受けていない小生が「主の祈り」を唱え讃美歌を歌うこともなく、家族3人の細やかなクリスマスディナータイムである。我が家では伝統的にクリスマスケーキは「自作」である。自作とは言っても既成の大型のスポンジケーキを買い込み、大量の生クリームを作り、スポンジケーキの上と輪切りにされた中間に苦心して「塗りたくる」。そして輪切りの中間のクリームの上には薄切りのイチゴを並べる。 毎度の娘との共同作業であるが結構難しい。
既成の各種飾り物で周囲を飾り、市販のケーキにも負けないくらいの如何にも「立派」?なクリスマス・デコレーションケーキに仕上げるのだ(但しボリュームがあるので数日かけて完食する)。
メインディッシュは既成のローストされた「鶏もも肉」である。特性のポテトサラダとコーンスープでディナーは準備完了である。「天にまします我らが父よーーー」の主の祈りもなく食事開始。
クリスマスディナーには思い出がある。中学生の頃、私の実家(世田谷区等々力)の道路を挟んだ向かい側の家に、米空軍立川基地に勤務する軍属夫婦(ご主人はアメリカ人で奥さんは日本人)が間借りして住んでいた。ある日曜日、父親が家の前で偶然にその米人旦那と対面。英語が喋れる父親はしばらくその米国人と立ち話をしたのだ。それがきっかけで父親は以後休日などに時々彼と立ち話をするようになった。
その年のクリスマス前に、彼は米国の実家の話を始め、涙ながらに楽しい家族クリスマスの思い出を話し出したそうである。父親はそれを聞き、その年のクリスマスに彼ら夫婦を我が家に招待し、ささやかながらクリスマス食事会を開くことになったのだ。
当日の夜、彼ら夫婦を我が家に招待し、我が家の家族と共に8畳の客間で細やかながら俄かの「日米家族クリスマス食事会」を開いた。私は中学3年生であった(昭和28年)。
彼はこの日の和気あいあいの出来事がよほど楽しかったらしく、彼の奥さんの話によると、何時もこの時の楽しかったことを話していたそうである。しかし彼は翌年に任期が来て夫婦はアメリカに帰国したのだ。その後もしばらくの間双方でのクリスマスカードの交換が続いたが、10年後に当人が故人となった知らせが奥さんから届いた。
この日のディナーの内容は全く覚えていないが、ディナーの一つに母の手作りの大きな特製の「ナスの肉詰め」があったことは覚えている。彼はよほどこれが気に入ったらしく、日本人の奥さんの話によると、常日頃「アレを作ってくれ」と彼女にねだったそうで、ある時奥さんが母親に「ナスの肉詰」の作り方を教わりに来たことがあった。
私の奥さんも「ナスの肉詰め」は得意であるが、これを手伝わされるのは私で聊かめんどくさい。肉の詰め方や美味しくするために、私の母親譲りのコツがあるのだ。作りながら60年以上も前の出来事を思い出す。
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