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2009年2月19日 (木)

2009年2月アイビー随筆

アイビー随筆  「知られざる遺跡」  

         37年理学部卒 大内 建二

 旧高清水町と旧瀬峰町(何れも現栗原市)の南方に、一連の丘陵地帯が広がっているが、ここは通称「四壇原(ヨツダンパラ)と呼ばれている。しかしこの地名も現在ではほとんど使われていない。
 この四壇原の東に広がる田畑の一角に(東北本線の線路の西側)、南北に直線状におよそ二十メートル間隔で四つの塚(壇)が並んでいる不思議な光景が目を引く(決して古墳ではない)。
 それぞれの塚(壇)は高さが四メートル。直径十五メートルほどである。この塚(壇)の姿からこの地帯一帯が古くから四壇原と呼ばれていたのである。
 瀬峰町史によると、この不思議な塚は今から約千年ほど前の「前九年の役」のときに、蝦夷征伐のために東征してきた源義家が、戦い前にして必勝祈願のために、源氏の守り本尊である諏訪、八幡、麻利支天をそれぞれ三つの塚に祭り、残る一つの塚には勝利の象徴である鉄球を埋めて祭った、名残であるとしている。
 実際に前九年の役ではこの地域から北の一関付近にかけてが激戦地になったと記録されている、それを証明するように戦後この未開拓の四壇原開拓で入植した人たちが耕地を起こす時に、土中から多くの鉄の矢じりや錆びた刀や槍の穂先を掘り出したと記録されている。
 この四壇原の四つの塚(壇)については宮城県の史跡の指定も受けておらず、付近には特別の案内図や標識もない。
 暖かくなったらドライブがてらに訪れてみてはいかがであろう。但し地図を眺めながら苦労して行かないと、簡単には見つけ出せないと思いますよ。

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