« 2011年4月 | トップページ | 2011年6月 »

2011年5月

2011年5月25日 (水)

いまさらですが・・・2011年2月・3月アイビー随筆

2月と3月のアイビー随筆を公開していませんでした・・・

震災を理由にしたいところですが、完全凡ミスです・・・

  

いまさらですがアップします。

大内さん、ごめんなさい。

                  (平成の女管理人)

   

 

アイビー随筆 「レバノン杉」

        37年理学部卒 大内建二

 昨今中東情勢がにわかに緊迫の度を高めている。エジプトに続き既にヨルダンの情勢
が心配されている。
 ところで中東には騒乱の中でその生存が危ぶまれている絶滅危惧種の植物がある。そ
の名は「レバノン杉」。
 船の歴史を紐解くとき必ず出てくる言葉に「レバノン杉」がある。この杉は古代の文
明時代からレバノンを中心とする中東の地に広く繁茂していた大型の杉の仲間で、強度
や緻密な組成から古くから船材として利用
価値が高かった。さて現在のレバノン共和国付近の地にはかつてフェニキア人が小国家
を築いていた。
 彼らは商才と航海術に長け、紀元前からこの木材を彼らの最強の商材として、同じ木
材で大型の船を造り、
地中海沿岸各地にこの木材を輸出していた。
 レバノン杉は木材のないエジプトにも大量に販売されていたが、その証拠に紀元前1
3世紀ころ以降のファラオの棺は、レバノン杉で作られていることが近年の化学分析で
明らかになっている。
 しかし彼らは植林という手段を知らず、10世紀ころにはレバノン杉は完全に枯渇し
、同時にフェニキア文化も消滅した。
 レバノン杉は現在レバノン共和国内のほんの僅かな地域(東京ドームの広さくらい)
に繁茂しているだけで、貴重な植物として世界遺産に指定され厳重に管理されている。
 実はこの希少価値のあるレバノン杉を日本国内で見ることが出来るのだ。明治初年に
レバノン国が新興国日本との友好の証として樹齢50年以上のレバノン杉数本を日本に
寄贈したのである。現在この貴重な杉3本は新宿御苑の千駄ヶ谷入り口付近で見ること
が出来る。
 既に樹齢200年近いこの独特の樹形の杉は一見の価値がある。レバノン共和国の国
旗の真ん中に緑の葉っぱを茂らせた独特の樹木が描かれているが、これがレバノン杉な
のである。

    

  

アイビー随筆 「東北新幹線」 

          37年理学部卒 大内 建二

 定年退職して仙台に引っ越してから、用事で月に1~2回の東京往復をするが、そのたびに新幹線を利用し日帰り行となる。
 朝6時半の列車を利用し、東京駅発18時56分の「はやて」で帰ると、東京に丸10時間滞在出来、ほとんどの用件は済む。便利すぎるが往年の汽車旅の楽しみは消え去った。ただ車窓からの眺めは毎回飽きずに楽しめる。
 私は山岳展望が好きなので、車窓から眺める山々の景色には飽きない。仙台から東京までに日本百名山の山を15座眺める事が出来る。中でも最も見えずらいのが八ヶ岳連峰である。
 冬の空気の澄んだ晴れた日以外には展望は無理だ。小山駅を過ぎたころから条件が良ければ、遠く上州の山並みのむこうに、とぎれとぎれに白銀の八ヶ岳連峰が望まれる。見える日は誠にラッキーな気持ちになる。
 春3月、利根川の鉄橋を渡るときに河川敷の柳の新芽の薄緑色が目につく。仙台を出てから最初に見ることが出来る春の気配である。現在では京浜東北線の王子駅を過ぎるころから、左の車窓の前方に建設中の東京スカイツリーの姿が見える。毎回行く度に姿が変わってくる。
 帰りの新幹線に乗る前に、八重洲口改札口の横の弁当売り場で弁当を買う。有名な銀座の「ハゲ天」が仕出しをしている「大海老弁当」が私のお気に入りである。
 新白河駅を通過して間もなく真っ暗な中にライトアップされた小峰城がちらりと見える。白石蔵王駅に近付くと左手に同じくライトアップされた白石城が見える。
 幾つものトンネルを抜けると突然左手奥に、八木山のテレビ各社のライトアップされたテレビ塔が見えてくる。車内放送チャイムが鳴る。仙台駅も近い。今日の東京往復も無事に終わった。

  

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年5月21日 (土)

2011年5月アイビー随筆

アイビー随筆 「小泉八雲」 37年理学部卒 大内建二

 小泉八雲はラフカディオ・ハーンの日本帰化名である事はご存じの通り。ギリシャ人とアイルランド人を両親にもつ彼は、子供の頃から苦労の多い生活を過ごして来た。そして西欧人には何故か忌避感を抱き、東洋に憧れ日本にやってきた。
 大分古い話になるが、今から20年ほど前のNHKの連続長編テレビドラマで、「日本の面影」と題する小泉八雲の日本での生涯を描いたものが放映された。
 私は中学生のころに小泉八雲を知り興味を抱くようになった。そして高校3年生の時に英語の副読本讀解の時間で、小泉八雲の随筆「日本の面影」と「怪談」を原文で習った。小泉八雲の英語は教師に言わせると理想的な英語の文章であるそうで、英語の讀解力を付けるには理想的な文章であるそうだ。私はこの時が大きなきっかけとなり小泉八
雲に傾倒した。
 昭和62年3月に会社の仙台支店から広島支店に転勤になった。これは仕事以外の事で非常に嬉しかった。小泉八雲の日本の故郷である島根県の松江市が近いからである。
彼はこの地で旧制の松江中学校の英語の教師として教鞭をふるい、その傍ら日本人の女性「セツ」と結婚したが、これが彼の怪談話を開花させるきっかけとなったのだ。
 転勤早々に早速松江を訪れ、松江城の北側にある彼の旧宅を見学した。内部は自由に見学できるのが嬉しかった。座敷の隅には眼の悪い彼のために特別に地元に大工が作った机や椅子、縁側の外の庭には彼が随筆でたびたび書いていたお気に入りの瀬戸物のガマガエルの置物もそのままに置かれていた。
 彼の墓は池袋の雑司ケ谷の墓地に、彼の遺言どおりささやかに造られている。
  

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年5月19日 (木)

2011年5月アイビー会

5月18日(水)アイビー会がありました。

しかし、この日、所用のため平成の女管理人は欠席でした。

  

そのため、報告なしです。

あしからず・・・・・

  

せめて誰か写真ぐらい撮ってきてくれないかな・・・・・

  

  

  

       

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2011年4月 | トップページ | 2011年6月 »