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2014年3月

2014年3月15日 (土)

2014年3月アイビー随筆

アイビー随筆 「秘話」

                     37年理学部卒 大内建二

 既に60年以上も前の話なので既に時効になるであろう。今回はとっておきの秘話を紹介したい。
 俳優としてまた歌手として有名な小林晃とは私は中学校(世田谷区立玉川中学校)時代の同級生。彼は大変に陽気で快活そして悪戯好きであった。彼と一緒の悪戯で先生に叱られたこと数回。二人で黒板消しを教室のドアに挟みドアを開けた先生の頭に黒板消しを落とす悪戯でこっぴどく叱られたことを思い出す。
 中学3年生(昭和28年)の10月に初めて世田谷区内の中学校対抗の体育大会が開催された。当然我が玉中も参加することになった。
 当時私は学年でもかなり足が速い方であったが、もっと速い者が5~6名いた。その中の一人に小林晃がいた。彼は私とほぼ同じくらいの速さであったが彼の方が幾分早く、運動会の時の徒競走では常に負けていた。 
 体育大会の徒競走とリレーの選手6名が選ばれることになり足の速い生徒12名が選抜され、最後にタイムを計り上位6名が代表選手に選ばれることになった。
 この時学校はスパイクを用意していた。それまで徒競走などは全て裸足で走っていたがスパイクが準備されたので一同驚いた。大体スパイクの存在も知らずましてや履いたこともなかった。それでも一応履いて練習をした後に、本番のタイムトライアルになった。
 私は2組目6名のスタートラインに付いた。左隣は小林晃。「ヨーイ・ドン」。クラウチングの姿勢から6名は一斉にスタートした。その途端。左隣の小林晃がもんどり打ってひっくり返った。スパイクを引っかけたのだ。しかしレースはそのまま続きゴールした。私は速い者の6人目に入り選手に選ばれた。タイムは12秒9。しかしもし晃がひっくい返っていなければ私より0.1秒くらい早い彼が当然選手に選ばれていたはずである。
  速さ自慢の我々は意気揚々と大会に参加した。しかし結果は無残な敗退であった。12秒台の後半程度の記録などは相手にされなかったのだ。他校にはもっともっと足の速い連中がいたのだ。
 テレビの画面に小林晃が映し出される度にあの時の喜劇と悲劇が思い出される。

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