« 東京六大学平成会 特別企画! | トップページ | 第14回東京六大学宮城校友会『新春の集い』 »

2015年3月 1日 (日)

2015年3月アイビー随筆

アイビー随筆 「昭和20年3月10日の謎」

             昭和37年理学部卒 大内建二

 終戦も数ヶ月後に迫った昭和20年3月10日の未明、宮城県南部で不思議な出来事が起きた。このことを記憶している人は既にほんの一握りになっているはずである。

 この日の同じ頃、東京の下町は約300機のB29重爆撃機の焼夷弾攻撃を受け、この地域はほぼ全滅した。犠牲者と行方不明者合計10万人以上という大惨事となった。

 同じ時刻、白石市から七ヶ宿町の上空を低空で飛ぶ飛行機があった。その数3機。この時のこの辺一帯は雪で地上も上空も暗夜と共に視界はゼロであった。

 爆音が北へ向かったと思った直後、蔵王連峰の南端の不忘岳(標高1800m)の方向から、断続的に三つの爆発音が聞こえた。 

 翌日雪が晴れるとともに地元の人々と警察官が捜索隊を編成し、その爆発音の正体を確認するために山に向かった。その結果、現在の白石スキー場付近と不忘岳の南西斜面と同じく北西斜面に、3機のB29重爆撃機の残骸が発見されたのだ。

 この日何故この地域にB29が飛来したのか、戦後になって米軍の当時の出撃記録を調査した結果でも、その答えは出なかった。ただ不思議なことに同じ時刻に2機のB29が仙台付近の上空に現れ、四郎丸と霞の目付近の田んぼに少量の爆弾と焼夷弾を投下しているのだ。

 東京空襲と行動を共にしていた5機の機体が途中で針路を誤ったのか、或いは仙台、山形、秋田の偵察爆撃に来襲したのか、真相は不明のままとなっている。

 現在不忘岳の山頂近くに、山腹に激突した3機の機体の搭乗員合計34名を慰霊する慰霊碑が立っている。

|

« 東京六大学平成会 特別企画! | トップページ | 第14回東京六大学宮城校友会『新春の集い』 »

アイビー随筆」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/510903/61215922

この記事へのトラックバック一覧です: 2015年3月アイビー随筆:

« 東京六大学平成会 特別企画! | トップページ | 第14回東京六大学宮城校友会『新春の集い』 »