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2017年3月

2017年3月30日 (木)

2017年3月アイビー会

3月15日アイビー会が開催されました。

 

その前に開催された平成会で

「今度のアイビー会に参加します!」

と宣言してくれた平成女子がいたので

しっかり写真撮りました!

 

皆さんなんだか嬉しそう!?

 

 

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2017年3月29日 (水)

立教平成会

3月9日キャンティ・ボーノで平成会が開催されました。
入れ替わりの激しい、平成会です。
 
今回も初参加が半分以上。
 
そして、今回はなんと平成元年卒から
平成28年卒まで参加してくれました。
 
親子ほど違う年齢差をはねのけ、
やっぱり盛り上がりました。
 
キャンティ・ボーノは立教の先輩のお店ですが、
大騒ぎして他のお客様へ迷惑かかってしまって
いつも申し訳ない・・・・です。
 
 
そして、案の定、写真撮るの
すっかり忘れてしまいました。
 
 
 
ということで写真がないので楽天ネタを
入れておきます!
 
 
【河北新報2017年03月15日】

 

<楽天>戸村と田中の立大コンビ存在アピール

東北楽天―広島 2番手で登板し2回を無得点に抑えた戸村

 立大の先輩、後輩で、共に前日に1軍合流した戸村健次と田中和基がそろって好結果を残した。戸村が2番手で2回無失点と好投すれば、9番右翼で先発した新人の田中はオープン戦初安打で存在をアピールした。
 戸村は六回を三者凡退、安打と四球で1死一、二塁に陥った七回も後続を断った。昨夏に右肘手術を受けた後の1軍初登板を終え、「七回はちょっと不安定だったが、この時期に1軍で投げられたのが良かった」と安心した表情を見せた。
 田中は三回に先発野村から中前打。「戸村さんは日頃から全力で野球に打ち込んでいる。自分も頑張ろうと思って結果を出せた」と1軍初共演を喜んだ。

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2017年3月28日 (火)

野球部の決起大会

3月4日(土) 居酒屋リトライで

野球部の決起大会が開催されました。

 

今年度から早稲田・明治・法政の3チームが

加入している草野球のリーグ戦に

参加表明した我が宮城立教会野球部。

 

宮城St. Paul's Club の名称で参加します。

 

メンバーは随時募集中です。

 

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田中選手!

河北新報 2017年01月13日

<躍動若ワシ>研究重ね強打の両打ちに

 

左打ちの練習で鋭い打球を飛ばす田中

 

 東北楽天に育成選手を含め、過去最多の新人14選手が入団した。将来の投手陣の柱と嘱望されるドラフト1位の藤平尚真(神奈川・横浜高)をはじめ、2位池田隆英(創価大)ら好選手がそろった。酉(とり)年入団の期待の若ワシたちを紹介する。

◎楽天新人紹介 田中和基外野手

 「家を出ずに一日中スマートフォンで(動画サイトの)ユーチューブを見ていても苦にならない」。スポーツ選手とは思えないほどの静かな休日の過ごし方。それが、いざバットを握れば別人のように豪快に振る。左右両打でアーチを描ける長打力を売りにプロの道を切り開いた。
 立大3年の東京六大学秋季リーグ。左打者として打率3割5分3厘、4本塁打の猛打で注目を浴びた。その頃、プロ入りの難しさを痛感する出来事があった。
 秋のドラフト会議だ。立大の大城(オリックス)、早大の茂木(東北楽天)ら、同じリーグの先輩が続々指名される一方、高評価と思われた他校の左打者2人がプロに進めなかった。
 現在のプロ野球では、希少な右打ちの長距離打者が重宝される。「厳しい世界。左打者はよほどの力がないと無理なのか」と衝撃を受け、考えた。「両打席でパワフルな打撃ができれば、独自色が出るはずだ」。小学生以来、両打ちだったが、大学で定位置を争った2年秋から出塁を増やすために左打ちに絞っていた。
 4年の時に両打ちに戻した。1年以上の空白を取り戻すため、打ち込む量を従来の2倍にした。すると4年春には両打席で1本ずつ本塁打を放って本領を発揮。狙い通りにプロ注目の存在になった。
 ユーチューブでは主にプロ野球の映像を見る。「右打ちはまだ感性で打っているが、左打ちは茂木さんらの形を参考に丁寧に形をつくってきた」。強い向上心を胸にプロでの飛躍を期す。(金野正之)

●田中和基(たなか・かずき)ドラフト3位。94年8月8日生まれ。福岡県出身。181センチ、74キロ。右投げ両打ち。福岡・西南学院高-立大。背番号25。

 

 

河北新報 2017年02月02日

<E野球のチカラ>俊足田中 成長の予感

 

茂木に続く逸材と期待される田中。キャンプ初日は打撃練習に汗を流した=1日、沖縄県久米島町の久米島野球場
 東北楽天の立花陽三社長が地域密着した球団運営を語るコラム「E野球のチカラ」を随時掲載します。

◎楽天・立花陽三社長 新戦力への期待

 観覧車新設や天然芝導入など、ファンの方々が足を運びやすく、より地域密着につながる「ボールパーク」づくりを進めてきた。今季から球場の名称を「Koboパーク宮城」(略称・コボパ宮城)とした。2月に入り、久米島キャンプが始まった。ファンの皆さんも新戦力を加えたチームへの期待が高まっていると思う。チーム編成にも携わる立場なので、最初に昨秋以降、力を注いだ補強の話をしたい。
 去年はキャンプ開始早々に茂木栄五郎内野手が評価を上げた。今年の期待の星は3位の田中和基外野手(立大)。1月の新人合同自主トレで短距離のタイム測定をすると、島井寛仁外野手のチーム記録を上回った。俊足に、両打席でアーチを描ける長打力、強肩も誇る。すごい選手に成長しそうな予感がある。昨秋のドラフト会議前に、星野仙一球団副会長、梨田昌孝監督がビデオを見て「絶対に欲しい」とほれ込んだほどだ。外野手の定位置争いに割って入るだろう。
 
 
 
河北新報2017年02月26

<楽天>新人田中俊足見せた

西武-東北楽天 6回東北楽天2死一、二塁、田中が中前適時打を放ち、7-1とする

 ドラフト3位新人の田中が途中出場ながら1安打1打点1盗塁と、バットと足の両方で首脳陣にアピールした。「悪いところ、後悔するところのない試合だった」と手応えを語った。
 松井稼の代走で出場し、初めて打席に入った同点の六回。先頭打者で四球を選んで出塁すると、次打者の初球で二盗を成功させた。味方が5点を勝ち越し、2死一、二塁で迎えたこの回2度目の打席では右腕平井の直球を中前にはじき返し、対外試合での初適時打をマークした。
 「打撃で1軍の定位置を取るとか、開幕スタメンとか(の可能性)は今の段階ではないと思っている」。自分の立ち位置を冷静に分析し、持ち味の俊足に活路を見いだす。「大学の時から、塁に出れば全部走ろうと心構えをしている。自分はまず盗塁。それができて良かった」
 打撃では、打席で球を見る角度を変えるなど試行錯誤を続け「球が見えるようになってきた」。速球に対応するため、大きくどっしりと構えるよう意識することがいい結果につながっているという。
 外野は好調の島内、松井稼に加え、実績のある聖沢、岡島らがひしめく激戦区だが、「すぐ走れるのは魅力。守備もいい。チームに必要な存在」と梨田監督の期待値は極めて高い。(浦響子)


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2017年3月 9日 (木)

2017年3月アイビー随筆

アイビー随筆3月号

 アイビー随筆「大沼旅館」

              37年理学部卒  大内 建二

 

 皆さんご存知の東鳴子の大沼旅館。経営者はアイビー会メンバー。ここの主人が立教のOBであることを知ったのはアイビー会の会話の中であった。

 実は今から45年前に私は古い大沼旅館に偶然にも宿泊したことがある。当時私は東京に住んでいたが、所用で家族三名(娘3歳)でこの旅館に宿泊した。

 鳴子温泉はどこも宿泊料金が高いので、少し離れた東鳴子の温泉に泊まろうと、時刻表の裏にある全国の旅館一覧を見て“何となく”「大沼旅館」に決めたのだ。

 電話で予約しようとしたら電話口に出た女性(現在の大女将らしい)が、「ハタゴですかトウジですか?」と聞いてきた。「ハッ?」と言ったら、ハタゴは宿泊の事だそうだ。この旅館、当時は半分は湯治客専用の旅館であったのだ。

 当日陸羽東線の東鳴子駅で下車(現在は「鳴子御殿湯駅」と改称。無人駅)、北に少し歩いたら古めかしい縦長の看板に大きく「大沼旅館」と書いてあった。鄙びた旅館の入口はハタゴ客と湯治客と別れていた。食事に何が出て、どんなお湯であったかは全く覚えていない。

 仙台に戻ってきてから2年後(平成13年)に20数年ぶりに大沼旅館に行った。立派な外観に変貌していた。ジープで送り迎えする数寄屋風の見事な露天風呂に驚いた。

 この旅館には「弁天の湯」という大きな今では珍しい混浴の内湯の大浴場があるが、ここに入ったら大勢の先客がいた。女子高校生の一団である! 大騒ぎをしていたが、私が入っていった途端にみんなお湯に飛び込み、「シーン」となった。「混浴のはずだが何か悪いことをしたかな?」と思いながら温まり出てきてロビーで休んでいたら、彼女らがドヤドヤと出てきて「先生!変なオジサンが入ってきた!!」。冗談ではない。私は変態ではない! と言いたかったが、そばにいた中年の男性が彼女等に「ここは混浴だよ」。

彼女らは今は白石高校と合併した当時の白石女子高のバレー部の生徒たちであった。その男性は顧問の先生で、さすがに一緒には入れなかったのだ。うらやましそうな目で私を睨んだ。

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