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2017年6月

2017年6月18日 (日)

宮城St.Paul's Club

大学日本一になった硬式野球部に負けずと今期から早稲田、明治、法政のOBチームなどを中心とするダイヤモンドリーグにわが立教チームが参加しました。硬式野球部、準硬式野球部のOBを中心に近来まれにみる強いチームとなり。現在全勝で首位を走っております。宮城St Paul's Clubといいます。宮城立教会の皆様ご声援よろしくお願いします。6/25に法政と対戦します。(12:20開始中河原緑地(A)若林区7丁目地先)5/21の試合の写真を載せます。(遅くなって申し訳ない)


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2017年6月 6日 (火)

2017年6月アイビー随筆

アイビー随筆「昔の会話」 

     37年理学部卒 大内建二

 

 ここ40~50年の間に、日本から急速に姿を消していったものの中に各地方特有の方言がある。姿を消していった最大の原因はテレビの普及であろう。全国津々浦々までテレビが普及してから既に50年以上になる。

 テレビは人を引き付ける不思議な文明の利器である。話される言葉は十分に標準語の話し言葉の訓練を受けたアナウンサーによって発せられる。今や東京近在に住まなくとも標準語は普及している。確かに地元の人々同士で話す言葉は方言で十分であろう。しかし何故か彼らが都会、それも東京付近に出かけた場合やそこに住んだ場合には、彼らの言葉は直ちに所謂標準語に代わるのだ。

 標準語と称するものは江戸が東京に変わり、そこに日本の中心が移されてから、なし崩しに東京で使われる言葉が標準語に「成り上がった」ものである。もとをただせば江戸の庶民が使っていた言葉が起源である。

 ここで不思議なことが考えられるのだ。戦国時代や江戸時代には全国諸藩の武将や殿様たちの会話には、共通認識の標準語という話ことばはなかったはずである。互いの強い方言同士の会話で互いの意思疎通を図る時に、彼らは互いにどんな言葉で会話をし、互いの意思疎通を図っていたのであろうか。特に津軽や荘内地方の難解な方言を使う武士や殿様たちが、同じく理解不能な薩摩や土佐の言葉を話す武士や殿様たちと意思疎通を図ろうとするときに、どのようにして互いは理解し合ったのであろうか、ということである。

豊臣秀吉は伊達政宗と面会した時、どのような言葉で会話していたのであろうか? 興味津々である。第一言葉が通じたのであろうか? 方や生粋の尾張弁。方や生粋の訛り入りの宮城弁。

 答えは案外に簡単なようである。学者殿に聞いたら、文章の書き言葉は平安時代の昔から全国共通であったもので、会話を書き言葉に置き換えれば、言葉に多少の訛りが入っていても理解しあえた、とのことである。

考えてみればそのとおりだ。古文書の書き言葉に訛りはなく全国共通である。しかし随分と堅苦しい会話ではなかったかと、思わず可笑しくなる。

 江戸時代になり参勤交代が制度化されると各藩の江戸在勤のものが増え、帰国すれば江戸言葉は地元でも話され、次第に江戸言葉が全国共通の言葉として普及していったらしいのである。 

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