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2018年11月15日 (木)

2018年11月アイビー随筆

アイビー随筆11月号

  アイビー随筆「観月楼」  

            37年理学部卒 大内 建二

 先日の河北新報の県民欄に、昭和26年当時の松島の観月楼の写真が掲載されていた。懐かしくなり今月はこの観月楼について一筆することにした。

 松島海岸通りから瑞巌寺に入る参道入り口の右角に、ひと際目立つ珍しい木造の三階建ての旅館風の建物がある。明治初年に建設された旅館「観月楼」であるが、旅館業は昭和40年代初めには廃業し現在は1階を土産物の店舗として営業している。風格のある建物で現在は宮城県の有形文化財に指定されている。俳聖正岡子規が20代の初め、松尾芭蕉生誕200年を記念して松島に来訪した時、彼はここに宿泊したと記録されている。

 私の中学3年生(昭和28年)の秋の修学旅行は中尊寺・松島・仙台の3泊4日(鈍行列車の車中2泊、旅館1泊)の旅であったが、唯一の宿泊旅館が観月楼であった。3階の目立つ角の客室が我々クラスメート10名にあてがわれた。今から思うと全くの贅沢であったのだ。窓からの松島海岸と島々の眺めは素晴らしかった“ように”記憶している。夕食に何を食べたか、どのようにして生まれて初めての「外泊」を楽しんだか、全く記憶にないが、旅館前の海岸で写されたクラスの集合写真を取り出して見たが、観月楼の姿は映っていない。

 それから27年後に会社の仙台支店勤務となり、幾度となく松島海岸通りを車で通過したが観月楼の姿はそのままであった。しかしこの頃には2階と3階の客室側の廊下にはカーテンが引かれ、旅館の営業はやめているようであった。そして1階は広い土産物売り場に変わっていた。有名な五大堂は旅館の目の前である。

 先年の東日本大震災の時、松島は正に奇跡的に巨大津波による甚大な被害は免れた。勿論受けなかったとはいっても海岸通りの建物1階は全て津波にやられ、瑞巌寺境内も被害を受けた。もちろん観月楼も1階は被害を受けたが、建物の破壊は免れた。松島湾の無数の大小の島々が防波堤となって津波の勢いを削いでくれたのである。

 観月楼の3階の屋根の四方の張り出し構造は独特で象徴的である。城の天守閣を思い起こさせるものがあり、有形文化財の貫録十分といった姿である。

 毎年秋になると何故か中学3年生の時の東北修学旅行が思い出され、真っ先に観月楼を思い起こすのだ。

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