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2020年4月 2日 (木)

2020年4月アイビー随筆

アイビー随筆4月号

 アイビー随筆「仙台市内道路の激変」

               37年 理学部卒 大内 建二

 私の手元に九十年前の昭和4年現在の仙台市の詳細な地図がある。この地図と現在の市内地図を比較すると驚くほどの違いがあるのだ。昭和4年当時の仙台市内地図の姿は昭和20年7月の仙台大空襲当時とほとんど変わりはない。しかし戦後、戦災で大損害を被った仙台市内を新規開発すべく大規模な区画整理が断行された時、現在の姿に変わったのである。特に道路の変わりようが驚愕である。

大規模区画整理が行われるまで現在の「広瀬通」、「青葉通」、「定禅寺通」、更に「愛宕・上杉通」や「国道45号線」、また「晩翠通」、「宮城野通」更に「新寺通」や「北目町通」、「二番町大通」は無いのである。かすかに「定禅寺通」と思しき通りが東西に一直線に伸びているのが判別できるが、この通りも現在の定禅寺通りの姿ではなく路地であったのだ。そして「二番丁大通」や「北四番丁通大通り」も細い路地であった。

 当時の仙台市内の繁華街は国分町通、一番町通の細い路地、そして南町通りであったのだ。南町通りの現在の駅前から二番町大通付近までは芝居小屋や活動写真館(映画館)が並ぶ歓楽街であったという。現在の三越デパートは東本願寺別院であり青葉通りや藤崎デパート、さらには七十七銀行本屋ビルは住宅地となっていた。大改革の際にここに青葉通りが貫通したのである。全く姿が変わってしまったのだ。

私が会社の仙台支店に転勤して来たのは40年前の昭和55年であったが、当時は二番町大通も南町通りから南側はまだ整備中で、五橋のY字交差点まではまだ貫通していなかった。そして二番町大通も勾当台公園付近では直線ではなく鈎型に曲がっていた。しかし昭和60年代に入る頃から仙台市内の道路整備は急激となった。

 昭和61年に三越デパートの南側にある20階建ての“日本生命タワービル”が完成したが、このビルは当時“東北で最も高いビル”として騒がれた。

それからわずか30数年の間、特にこの10年以内の仙台市内の高層ビルの建設ラッシュには目を見張るものがある。日本生命ビルはもう目立たない。

 現在の日本の100万都市は12カ所であるが、仙台はその12番目であり人口は109万人である。産業の拡大に伴い仙台市も今後さらに拡大、拡張されてゆくであろうが、どのように変化してゆくのであろうか。

 私が住んでいる長町も仙台副都心計画の進展に伴い“あれよあれよ“という間に激変してしまった。特にこの10年の間に高層マンションや中層マンションが雨後のタケノコのように立ち並んでいるが、その収容人員は推定約3、600所帯、総人口も少なくとも12、000人超えの増加である。おかげで何もなかった近所には客の増加を狙って何とIKEA!、そして3棟の新しい大型スーパー。5日に3回は飛来するドクターヘリを扱う市立病院の新ビルを始め、各種医療施設が立ち並び至極便利になった。

 全国JR1,000駅の乗降客数の調査では、仙台駅の2018年度一日当たりの乗降客数は169、928人で全国49位。長町駅は10,513人で全国291位である。私が仙台に移り住んだ20年前の長町駅の乗降客数は2,100人と聞いている。物凄い人口増加である。確かに長町は仙台市内の住みたい街トップに位置しているが、それを立証するような数字である。

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