アイビー随筆

2018年7月 1日 (日)

2018年7月アイビー随筆

アイビー随筆7月号

 アイビー随筆「蕎麦」

           37年 理学部卒 大内 建二

 私はそばが好きである。これまでも蕎麦県である山形県ではかなりの蕎麦屋を巡ったつもりである。行ったところの凡そ八割の店でおいしい蕎麦を食べた。おいしい蕎麦を食べさせる店は、その外観で何となく「私の第六感」で決めて入っていたが、「第六感」の確率は八割ということになる。結構高い確率であると思っている。

 新庄市の南西の山中にある次年子(ゼネゴと読む)の蕎麦、月山の麓の志津の蕎麦、銀山温泉付近の蕎麦屋、左沢(アテラザワ)の蕎麦、真室川町の蕎麦、何れも絶品であった。

 宮城県内でも思わぬところでおいしい蕎麦屋を見つけた。名取から村田町に抜ける県道の村田町に入った付近の山中の道路脇に、一見みすぼらしい蕎麦屋があるが、ふらりと入ったここの蕎麦は格別であった。「十割蕎麦」というのを注文したが、まさに十割蕎麦で、量は決して多くはないが、極め付きの太さの太打ちの蕎麦は絶品であった。但し物凄い硬い蕎麦で、一枚を食べ終わる頃には本当に顎が痛くなった。二枚を食べる元気は無くなっていた。

 岩手県の中尊寺の月見坂参道入り口から国道4号線を三百メートルほど南に行った、国道から少し入り込んだところに「芭蕉庵」という大きな蕎麦屋がある。ここの名物は「静かなワンコ蕎麦」である。一段に12個のワンコ蕎麦が入った盆が2段重ねで出される。三段目は12個の椀に様々な「具」が入っている。

 1椀の蕎麦の量は本式のわんこそばの量と同じで、合計24杯のワンコ蕎麦を自分のペースで食べられるのだ。24杯のワンコ蕎麦は大した量ではないが結構満腹になる。わんこ蕎麦食べ比べの横綱が食べる300杯とはどの様な量になるのであろう。

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2018年6月17日 (日)

2018年6月アイビー随筆

アイビー随筆6月号
 アイビー随筆「聞かなくなった音楽」
             37年理学部卒 大内建二

 フッと気が付くと最近巷でほとんど聞かなくなった音楽に「行進曲(マーチ)」がある。周辺の小学校や中学校で開催される運動会でも、流される曲は行進曲ではなく、流行りのポップス調の音楽ばかりである。季節感が無くなった。
 何時頃から行進曲が聞かれなくなったのか、とツラツラ考えると、どうも昭和50年代に入った頃からであったような気がする。この頃に大きく変わったものに学校の卒業式の時の歌がある。かつて卒業式と言えば「蛍の光」と「仰げば尊し」に決まっていた。確かにこの二曲はその場の雰囲気に完全に合っていた。
 しかしテレビで「金八先生」シリーズが始まりだした頃から様相が変わってきたようだ。この番組の主題歌が一世を風靡し、何時しか卒業式の定番の歌になってしまった。そしてこの頃から運動会や高校野球の入場行進曲には、いわゆる行進曲ではなくその時流行の「歌」が行進曲の代わりを務めるようになってきたようだ。一体昔懐かしの名曲の多い「行進曲・マーチ」は何処に消えてしまったのであろうか。
 行進曲には世界的な名曲が多い。イギリスの「後甲板にて」や「威風堂々」、ドイツの「旧友」や「バイエルン行進曲」、アメリカの「忠誠」やメキシコの「サカテカス」、また昭和50年代に日本中で一世を風靡したトルコの「チェディン・テデン」等々枚挙にいとまがない。 
 かく言う私は自称無類のマーチ好きである。今やCDもすたれ、インターネットで行進曲を検索し聞くことに改めている。幸いにもほぼ世界の全曲が聞ける。
 応援歌なども見事な行進曲である。立教大学の第一応援歌「行け立教健児」なども見事な行進曲である。歌っても楽しい。
 2020年開催の東京オリンピックの入場行進では、是非前回の東京オリンピックの時に作曲された「東京オリンピックマーチ」を演奏してもらいたい。名行進曲として今や世界中で知られている。
 ところで日本はおろか世界で一番のマーチ演奏団体として認められている、著名な演奏団体をご存じだろうか。それは日本の海上自衛隊東京音楽隊なのである。実に見事な演奏で、マーチ演奏の王者と言われていたドイツやイギリスそしてアメリカからも、その見事な音色と豪快さで今や一目置かれる存在になっているのである。

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2018年5月 1日 (火)

2018年5月アイビー随筆

アイビー随筆 5月号

 アイビー随筆「富士山」

            37年理学部卒 大内 建二

 日本には北から南まで実にたくさんの「富士」と名の付く山が存在する。最北の富士山は「利尻富士」である。利尻島の海抜ゼロからそびえたつ標高千八百メートルの利尻岳は正に絵にかいたような富士山の姿をしている。道南の羊蹄山は「蝦夷富士」と呼ばれる。これも見事な富士山である。広大な周辺一帯は北海道でも指折りのジャガイモの産地だが、その一角に「細川たかしの生家」と看板を掲げた小さな家が残されているのがご愛嬌。最南端の富士山は鹿児島県の薩摩半島の南端にある開聞岳「薩摩富士」である。

 東北にも沢山の富士山がある。青森県の岩木山は「津軽富士」、りんごの花が咲く頃にリンゴ畑の後方に聳える残雪の岩木山は見事な富士山である。岩手県の岩手山は「南部富士」、盛岡市のすぐ北に聳える標高2038メートルの「南部富士」は正に盛岡市の守り神のようである。秋田県と山形県の県境に聳える鳥海山は「出羽富」。近年有名になった映画「おくりびと」の最初のシーンに見事な鳥海山が映し出されている。福島県の会津磐梯山は「会津富士」。猪苗代湖の北に聳える磐梯山は富士山というよりエジプトの「クフ王のピラミッド」のような豪快な姿である。

ところで宮城県の富士山は?。ありますよ。標高は低いが「加美富士」と呼ばれる薬莱山(ヤクライサン)。一見お饅頭のような山だが富士山に見えなくもない?

ところで仙台市にも富士山があることをご存知だろうか。仙台の西に聳える標高320メートルのピラミッドのような太白山は仙台のシンボルでもある(仙台市内からは先っぽがチョコンと見えるだけだが)。この太白山は別名「名取富士」と呼ばれているのだ。この文章を書くまで私はこの呼び名を知らなかった。確かに新幹線が名取市内を通過するとき太白山の全景が見えるが、「チョコン」が美しい見事な富士山に変身する。

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2018年4月11日 (水)

2018年4月アイビー随筆

アイビー随筆4月号
 アイビー随筆「狐小路」
           37年理学部卒 大内 建二

 先月の本文で連坊小路について書いたが、興に乗り今月も「小路」の続きを書くことにした。仙台には明治時代から、「七崎、七坂、八小路」という語呂合わせのような地名の総称が存在することはご存じだろうか。「崎」は「茂ケ崎」等、「坂」は「石名坂」等ほんの僅かが残っている。ところで「小路」だが、これも同じで現在では道路拡張などで次々にその名が消え去り、現在残っている連坊小路などは貴重な残存地名なのである。
 かつては「大名小路」、「桜小路」、「元寺小路」、「清水小路」等々があったが、「大名小路」は現在の西公園通りと片平丁通りに、「桜小路」は東北大学片平キャンパスの中に埋もれている。「元寺小路」も通称だけで現在は名前だけが何となく残っており、どこの路を指すのかは明確でない。
 ところで「狐小路」だが、この道は片平丁小学校の東側から高等裁判所の東門の前を通り、かつての「細横丁(現在の晩翠通り)」へ通じる片側通行の細い道のことを言うのだ。私の母親は片平丁で生まれ育ち、大正時代に「片平尋常小学校」へ通学していたそうだが、校庭の東側に沿って通じている細い道を通称「狐小路」と呼んでいたそうだ。この小道の東側は鬱蒼とした森で、「校庭でよく狐を見かけた」と母親は話していた。現在この小路名も消え去り、高齢の人たちがたまさかに使うだけになっている。
 ところで「小路」とは違うが、三越デパートの正面玄関を出て一番丁通りを横切ると間もなく狭い通りがクロスする。この道は通称「トラヤ横丁」と呼ばれている。国分町の歓楽街のすぐそばだけに、夜な夜な大トラや小トラが“さ迷う”からつけられた通り名と思われがちだが、さにあらず。大正の初めにこの通りの一角に「虎屋」という薬種問屋が開店し、その店先に大きなトラの置物が置かれていたので、この通りが何時しか「トラヤ横丁」と呼ばれるようになったそうである。

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2018年3月 8日 (木)

2018年3月アイビー随筆

 アイビー随筆「連坊小路」 

          37年 理学部卒 大内 建二

 私は昭和55年8月に会社の仙台支店に転勤して来た。以来足掛け8年間を仙台で過ごし、定年退職後その時にこの地で購入したマンションに戻ってきた。最初に仙台に来た時に知人から「連坊小路」にある「石田内科医院」を紹介され、以来仙台に戻ってきた現在まで我が家のホームドクターとして本医院のお世話になっている。

 現在の先生はこの医院の三代目で、現在は引退しているが先代の先生は「これぞ内科のお医者さん」を彷彿させる御仁で、仙台医師会の内科部会の会長を務めておられた。私は毎年の健康診断や胃の内視鏡検査、インフルエンザの予防接種などしょっちゅうお世話になっている。

 この医院は何時行っても待合室は満席でにぎわっている。時にはその中に意外な人を見つけることがある。アイビー会の水野さんや、明治大学応援団長OBの白木さん等々である。4人の看護師さんも全員がこの医院で30年以上の務めで、私の何から何までを知っているのだ。

 この医院は仙台一高の傍にあり、地下鉄東西線の「連坊」駅を降りるとすぐである。車を運転しなくなった現在は地下鉄で通院となっている。

 先日当駅の地上までの長い長いエスカレーターの登り口の壁に架けられている古い(大正7年)地図を何気なしに眺めていたら、あることに気が付いた。地図の「連坊小路」の名前の後にカッコして「恋慕小路」と書かれてあるのだ。確かに「レンボウコウジ」と読める。

 帰宅してから興味に駆られて調べてみたら、「恋慕小路」の由来が書いてあった。それによるとかつて旧制一中(現一高)の生徒と、この小路の西側にある第二高等女学校(現二女高)の生徒の多くが惹かれあって、ほのかな恋慕を抱いたことから「恋慕小路」の名前が誕生した、というものであった。「なるほど」であるが、もう一項目あった。それはこの小路は元々寺の宿坊が並んでいたところで、そこの若い僧侶たちがかつて東七番丁にあった花街の芸妓に恋い焦がれ、密かに通い詰めたことからついた名前だとも記されていた。連坊小路の本来の名前の由来は「連なる宿坊」なのである。

 昔の仙台には様々な小路の名前が点在していたが、由来を調べると面白そうである。次回はこの続きを少し書きたい。

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2018年2月18日 (日)

2017年2月アイビー随筆

「ピーちゃん」

       37年 理学部卒 大内 建二

 一昨年の3月の初め、娘が会社の帰りに夜の寒空の中、道路脇の植え込みの中でピーピー鳴いているインコを見つけ、手で包み持ち帰ってきた。飼っていた何処かのインコが開けた窓から逃げ出したのであろう。暖かくなると手の上に乗って逃げようともしない。よく慣れているがまだ子供のようだ。

 翌日早速ホームセンターに出向きケージや餌などを買い込み飼うことにした。初めは警戒しているようであったが毎日水を取り替え、ケージの中を掃除し餌を継ぎ足したりしているうちにだんだん慣れてきた。私の手にも乗るようになり、何時までもじっとしている。

 様子が分からないので、数日後に探し出した「小鳥クリニック」へ連れて行き診断をしてもらった。生後半年くらいのメスのセキセイインコで、健康とのこと。ただ逃げ出さないように若い女医さんは羽を少し切った。

 名前は「ピーちゃん」としたが。女医さんはカルテ!に「大内ピー」と記した。笑ってしまった。

 小鳥特有の「擦り込み現象」なのであろうか、その後は毎日世話をする私に完全に懐いてしまった。ケージの扉は昼間は開けっ放しにしているので、ピーちゃんは毎日同じお気に入りの場所に飛び移り、何かを飽かずしゃべり、おなかがすくとケージに戻り餌をついばんでいる。

 「ピーちゃん」と呼ぶと「ピチャン(ピーと長く発音出来ないらしい)」と返事をし、お気に入りの場所から飛び降りトコトコと歩いて近づき、上を見上げて再び「ピチャン」と鳴く。肩に乗せろという意味らしい。

 肩に乗せるとさも安心したようにじっとしている。実は同じことをやっても家内や娘には全く知らんぷりなのだ。完全に「擦り込み」が出来てしまっているのだ。命の恩人の娘に対しても手を出すと激しく「ピピピッ」と警戒の声を出す。娘は「この恩知らず!」と大むくれである。

 ピーちゃんの存在は家庭をことのほか和ませる。ただ困ったことに発情期を迎えると、私を相手と勘違いし盛んにモーションをかけてくるのだ。「チガウダロウ!」と言っても聞く耳を持たない。盛んにすり寄ってくる。ただこれも一時的である。

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2018年1月11日 (木)

2018年1月アイビー随筆

アイビー随筆「飛行機からの眺め」 

         37年 理学部卒 大内建二

 

 会社勤務中に出張ではかなりの回数飛行機に乗った。地理大好きの私は常に窓際の席を確保し搭乗した。東京・福岡間は絶好の山岳展望が楽しめ、札幌往復では東北地方全域の展望が楽しめた。

 ある年の正月早々に上京することになり、遅まきながらの「初日の出」を眺められると思ったら、あいにく左側の窓際席は満席。皆さんの目的は同じであったのだ。お目当ては遅まきながらの「初日の出」。

 会社の札幌支店に勤務中、札幌と羽田間の空の旅は往復30回を超えたが、この間には大変珍しい景色を眺める機会があった。その一つが夜の日本海に輝く、集団で漁をする「イカ釣り船」の集魚灯(いさりび)の明かりである。下北半島の上空約九千メートルを飛行中に、右側の席の窓のはるか遠方一面に、猛烈に輝く明かりの群が見えたのだ。よくよく観察すると明らかにシーズン中のイカ漁の集魚灯の光である。100キロメートル以上離れていても猛烈なまぶしさである。人工衛星からも容易に眺められるに違いない。

 北海道内で札幌の丘珠飛行場からオホーツク沿岸の紋別までプロペラ機のYS11に搭乗した。2月の末であった。小さなローカル空港の紋別空港は海岸に最接近している。滑走路に着陸態勢に入った機体の窓から一面の真っ白な雪原が見えたのだ。何と限りなく広がる流氷原なのである。

 北海道の渡島半島の西の海上に浮かぶ奥尻島には函館空港から双発の10人乗りの小型旅客機が運航されている。一度所用で同島の生コン会社に行った時にこの小さな飛行機に乗った。奥尻地震発生の一年前であった。

 超小型旅客機は貨物を座席に乗せて乗客は8名。千メートルにも満たない高度を、渡島半島の複雑な山の頂スレスレに大きく揺れながら一路奥尻へ。

 客席と操縦席の間には仕切りはなく、操縦士の動作は丸見えである。強い向かい風のために飛行機が斜めに飛ぶことも初めて知った。

奥尻空港(実際は単なる短い滑走路と掘っ立て小屋だけ)の滑走路への着陸の姿は丸見え。「ドスン」と車輪が地面に着いてしばらく滑走して終わり。今まで乗った旅客機では味わえなかった最高のスリルであった。吹き流しが一本勢いよく泳いでいた

 空の旅で私の最高の楽しみは「日本100名山」の「山座同定」であった。

おかげで飛行機の窓から65座を確認することが出来た。望外の喜びである。

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2017年12月20日 (水)

2017年12月アイビー随筆

アイビー随筆12月号

 アイビー随筆「数学授業の悪夢」    

                37年理学部卒 大内建二

 最近はさすがになくなったが、20年ほど前までよく同じ悪夢を見た。内容は高校時代の数学の授業の夢である。高校時代の3年間、同じ数学の教師の授業を受けた。彼はわが校が旧制の中学校時代から住み着いている初老の教師で、ドングリのような頭はゴマ塩の坊主頭。黒縁の真ん丸なメガネをかけ、3年間同じ着古した背広姿で足元は雪駄履きで廊下を歩き、彼の足音で恐怖の数学の時間が迫ってくるのを感じた。あだ名は「スッポン」と名付けられていた。食いついたら放さない、という意味だ。

 彼は授業中に常に生徒を指し答えを迫り、定義なども必ず一字一句間違いなく言えるまで何度も繰り返し言わせた。彼は毎授業、常に出席番号1番から指すのだ。出席番号6番の私は常に油断なく身構えなければならなかった。そして出席番号25番くらいで毎回授業は終わる。卒業までの3年間、出席番号26番以降の仲間にはこの授業の恐怖と緊張感は理解できなかったのだ。正しい答えが出なければたちまち「立ッチョレ!」と怒鳴られる。私などはどれほど立ったまま授業を聞いていたかわからない。

 ただ時々面白いことを教えた。「π(パイ)」の数十桁の暗唱の仕方である。「ミヒヨヒゴクニムスバレイミイヤクナクヤミニナクミニミテハジヨーーー」これを数字に置き換えればπの数字である。今でも30桁くらいは言える。

 一年生の時の二次方程式では、解の計算式を「死んでも忘れるな」と言われ一生懸命覚えた。死にそうな一歩手前の今でもスラスラ言えるが、何の役にも立っていない。三角関数のサイン・コサイン・タンジェントの公式も、身振りを入れた手踊り方式で教えられた。今でも出来る。傑作である。

 3年生になり微分・積分・確率・行列などと進むと難解極まりなくなり、授業内容も三段も四段も厳しくなり、立ちんぼの時間がますます増える。授業中教室の半分の生徒が立たされることも稀ではなくなった。壮観である。

 この超難行・苦行を経たためか、数学2科目問題の物理学科入試問題は、比較的容易に解答できた。スッポンに感謝である。ただ授業の悪夢はその後40年間なかなか消えなかった。まさに後遺症である。

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2017年11月26日 (日)

2017年11月アイビー随筆

アイビー随筆 11月号
 アイビー随筆 「紅葉」 
           37年理学部卒 大内 建二

 紅葉真っ盛りの季節が廻って来た。私は未だに記憶に残る絶景の紅葉を過去に二度見ている。その一つは既に60年近くも前になるが、10月の快晴の日に仙山線に乗り山寺に向かった時、作並から山寺の間は正に紅葉の真っ盛りで、特に奥新川付近の山肌の紅葉は絶景で、秋の太陽の照り返しを受けた赤・黄色・橙色の光は車内まで染め抜きそうであった。
 今一つは10年ほど前に秋田の秘湯である乳頭温泉に行ったとき、鶴の湯温泉の裏山一面の紅葉である。よく例えられるように「絵具をぶちまけた」ような物凄い紅葉を見た思い出である。大袈裟ではなく、あまりの凄さにしばらく呆然と佇むほどであった。
 都市化と温暖化が促進され、気温の変動に大きな変化が現れて最近では美しい紅葉を愛でる機会が少なくなってきた感は否めない。この仙台市内でも極めつけの紅葉を見る機会が少なくなってきたように感じる。奥新川は場所的にはレッキとした仙台市青葉区なのだが、近年の同地の紅葉は些か色あせているようにも見受けられるのは気のせいか。
 しかし仙台市内の街中には、今でも素晴らしい紅葉が眺められるとっておきの場所がある。お教えしよう。一つは泉区紫山の宮城県立図書館の北側の山肌である。11月初めころに図書館の中央入り口に入る時、後ろを振り向いてください。素晴らしい紅葉が眺められます。
 今一つは若林区役所の構内東側に屹立する巨大なモミジの木の紅葉だ。このモミジの木は鬱蒼として例外的に巨大である。恐らく仙台市の保存樹木であろう。そして11月に入るとこの巨木は見事なモミジの紅葉を見せてくれる。圧巻である。
 仙台市内にはまだまだ見事な紅葉を見せてくれるところが多い。八木山龍ノ口渓谷の紅葉、大倉ダムのダムサイトの紅葉、秋保大滝周辺の紅葉、愛宕上杉通のイチョウ並木の見事な紅葉、泉パークタウン周辺の紅葉等々。やはり仙台市は自然に恵まれ過ぎているのだ。ただ愛宕上杉通の落下して車に踏みつぶされた膨大な量の銀杏の匂いには些か閉口するが。これも自然が多い恵みの香り、秋の風物詩として我慢して楽しむべきなのだろう。

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2017年10月 7日 (土)

2017年10月アイビー随筆

アイビー随筆10月号

 アイビー随筆「船の言葉」 

      37年理学部卒  大内 建二

 定年退職後に船や海事に関わる書籍を書き始めて早くも17年が経過した。現在では世界の往来は全て飛行機の時代であり、船で海外に出向くという時代ではなくなっている。そのためか特に日本国民の間では、船に関わる書籍は珍しい存在になっており、むしろ興味の対象となり易いのである。

 世間では船が話題となると直ちに大型豪華客船によるクルージングが話題となるが、超大型高層マンションを横倒しにしたようなこれら船には全く興味がわかない。地上のレジャー施設を単に海上に浮かべただけの代物には、何の興味もわかないのである。本来の船の旅の楽しさと面白さとは程遠い存在となっている。

 船の世界には商船であれ軍艦であれ、様々な伝承や習慣が存在している。この古来から伝わる船の習慣を調べるのも結構面白いのである。

 船の世界では19世紀の初めより世界的な約束事が次々と出来ている。代表的なものに例えば船舶航行衝突予防法第1条である「右側通行の原則」がある。互いに相対する船がすれ違う時、互いの船は互いに相手を左に見てすれ違わなければならないという規則である。海上の船の通航は厳格に右側通行と決められているのだ。。

 私は歩道を歩いている時に人とすれ違う時、必ず相手を左側にしてすれ違う習慣が何時しか身についてしまっているのだ。海事関係の書籍を記述する多くの人の身に付いた不思議な習慣なのである。

 旧日本海軍や海上自衛隊では数の数え方に独特の約束がある。例えば0,1、2、3ーーという場合、「マル、ヒト、フタ、サンーー」と言うのである。例えば「午後5時30分集合」という場合には「ヒト、ナナ、サン、マル集合」というのである。これは一見言い難そうであるが、絶対に聞き間違いが起きないための約束事なのだ。

 私は家の中ではよくこの言い方をしているが、娘が何時しか習慣とし、「今日の帰りはヒト、ハチ、サン、マルだからね!」と言い出した。

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